”なつかしいもの” 近畿地方

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滋賀の「西武電車」

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 子供の頃から西武の赤い電車に慣れ親しんだひろみやにとって、新幹線で新大阪まで行く途中に幾つかすごい気になる電車がありました。

 それは小田原と三島それに米原付近を通過するときに見える西武電車と同じ色の電車の事です。
 
 多少、大きくなってから調べたところ、伊豆箱根線と近江電車とわかりました。色の理由は両者とも西武電車系の会社である事から来ている事もわかりました。ところがなかなか訪れる機会がありませんでした。

 近江電車へは昭和56年に訪問が叶いました。まだまだ「赤い電車」が走っていた時代です。

 色こそ同じですが、西武電車より年季が入った電車たち。それでも結構な営業距離を持っているので駅間も長く、結構揺れながらですが飛ばして走っていましたね。

 貴生川から米原まで乗ってみました。途中では魅力的な電車や機関車たちがいっぱいいました。最後のモユニなんか「たまらない」と思います。

 今は西武電車401系の中古車が走っているとの事。もう一度行ってみたい鉄道の一つです。

 

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 昭和56年、神戸で「EXPO‘81」と言われた「ポートピア」という博覧会が開催されました。

 昭和45年の万博から11年、国内では昭和50年の沖縄海洋博以来の万博でした。

 会場には神戸沖に造られた人工の島、“ポーアイ”ことポートアイランドが使われました。この島は須磨ニュータウンの造成で余った土を、地下鉄西神線の開通前のトンネルを利用して運び埋め立てたとの話。その合理性はいかにも神戸らしいと思ったものです。

 昭和56年春、大阪万博の時は幼稚園児であったひろみやも青春真っ只中(!?)。でも行った相手は親戚や男友達でしたね・・・(笑)。

 そのポートピアの“足”が「ポートライナー」でした。当時の関西は「ライナー」好き(!?)で「ブルーライナー」「シティライナー」に続く、第三の「ライナー」でした。

 最初は有人運転であったポートライナーは無人運転を前提に造られていました。当時としてはこの新交通システムは非常に珍しいもので、未来の交通機関の代表のように言われていました。でも確かにその通りで、現在では結構数多くの新交通システムが稼動しています。

 ところでポートピアには全国各地から見物客が訪れたので、そのための臨時列車も多くありました。

 最後の画像は三宮発富山行きの臨時特急「ポートピア」。実質的には臨時「雷鳥」を三宮始発にしただけなんですが、結構話題になりました。一緒に並んだ阪急電車のドアの横には「ポートピア」のステッカーが見えます。

 ゴダイゴのテーマ曲にのって開催されたポートピアから四半世紀、今では神戸に空港ができてしまう時代になりました。今から25年後はどうなっているのでしょうかね・・・。

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阪急梅田

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 阪急のターミナルと言えば「阪急梅田」。そしてこの駅は三方向(千里線を別に考えると四方向)の電車は発着する駅で、この先十三までは三複線になっています。

 東京ではこのような大ターミナルはありません。同会社でもターミナルが別のケースが多いからです。

 無理やりこじつければ東急の蒲田駅を巨大・長大化した駅ってところかな・・・?
(参考記事)http://blogs.yahoo.co.jp/hiromiya_1638/11138242.html

 皆さんもよくご存知の駅かと思いますので、画像の紹介に移ります。

 上は神戸線の須磨浦公園行き特急。私がよく利用していた電車です。今は山陽電車直通は無くなってしまいました。
  
 次は宝塚線の急行になります。当時は通常、宝塚線は特急は無く急行と箕面行の準急しかありませんでした。国鉄の福知山線が宝塚まで電化した頃の事です。

 その次は千里線の1300型。シールとヘッダーのある車体からは想像できませんが全金属製の高性能車です。冷房化もされていますね。

 下二枚が京都線。上が先代特急車2800系を格下げした急行。元々二ドアクロスシートだったので、窓配置が三ドアで登場した車両と異なります。下は6300系特急。当時唯一のクロスシート車が止まるこのホームだけ違う雰囲気が漂っていました。

 この巨大ターミナルは関西私鉄王国を象徴するものでした。

山崎のカーブにて

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 京阪神地区で昔から有名な撮影場所と言えばやはりココ、山崎のカーブではないでしょうか。

 私も何回か山崎のカーブへ行った事があります。昭和56年・57年頃の話です。

 京都方面への列車を望遠で撮る。これが定番の構図になります。

 ところが当時高校生のひろみやは高い望遠レンズなど持っている訳も無く、父親と共用の某レンズメーカーのズームを使っていました。このメーカーのズームの最近のものは凄く性能も向上し下手な純正モノよりも解像度やピントもよくなりましたが、当時の解像度にはほんと困りました。

 望遠側がほとんど使い物にならない。スキャンしてみるとそれがよく分かります。そのためこの後単焦点レンズを集めることにしたのですが、結局、なかなか使えずじまいでした。

 そんな中から何枚か紹介します。

 上はEF58の荷物列車。当ブログにちょくちょく登場のゴハチの荷レ。当時の東海道・山陽スジでは決して珍しいモノではなく、当たり前に走っていました。当時は「急行」として時刻表にも時刻が載っていたので、よく追っかけたものでした。

 中は「雷鳥51号」か何かでしょうか。EF81+14系座席車の組み合わせは間違いなく北陸線の臨時特急でしょう。

 下は103系の緩行電車と583系の「雷鳥」。山陽・九州方面の583系の間合い運用の「雷鳥」はこの頃一時だけの存在だったような気がします。

 九州から漸く関西まで来ました。次回から少し関西をぶらぶらしてみましょう。

 

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 兵庫県西部の播磨と呼ばれる地方には、昔から多くの鉄道路線がありました。平野が多く、住民が広がって住んでいる事も理由の一つでしょう。

 ところがその路線達の経営は思わしくないものばかり。国鉄末期にその整理が始まりました。

 先ず、国鉄高砂線の貨物輸送廃止に伴い別府鉄道が廃止され、続いて高砂線が廃線、昭和60年に加古川線のみを残し鍛冶屋線は廃線の方向(平成2年廃線)、北条線と三木線は第三セクターの北条鉄道と三木鉄道にそれぞれ生まれ変わりました。

 今回の記事はその北条鉄道と三木鉄道開業の日の記録です。華々しく、というよりも仕方なく開業した、という感じでした。

 導入された車両は二軸車のレールバス、本当に簡素な造りの車両でした。走り出すと「ダダン、ダダン」ではなく「タン、タン」という走行音が聞こえます。

 さすがに後年はこのレールバスは置き換わり、今ではボギー車になっていますが経営的には大変との事で、三木鉄道は廃止の話もあるようです。
 
 この頃、加古川線にも新型のキハ37が投入されました。しかし国鉄も財政的にも厳しい時期で、このキハ37も更新車で投入された車両数もごく僅かでした。

 あれから20年以上経ちましたが、全国各地の第三セクターの経営も大変との事。地元密着でないと難しい第三セクター、なかなか利用客も伸びないようです。

 全国各地に誕生した第三セクターも誕生から20年を経て正念場を迎えているようです。一つでも多くの会社が経営を継続できれば、と思うのですが・・・。

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