”なつかしいもの” 中国地方

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 広島に住んでいた昭和54年。岡山の下津井電鉄に出掛けました。

 当時、中学生だった私。家族で鷲羽山へ行った時に父親に頼んでここへ寄ってもらったのです。

 元々下津井電鉄は宇野線の茶屋町から下津井までを結ぶ電車でした。下津井からは船で丸亀へ渡って「こんぴら詣」をする人達を運びました。但し、宇野線や宇高連絡線の開業に対抗して開通した路線ですから、開業時から分が悪い路線でした。

 私が訪れた昭和54年は既に児島〜下津井間の運転になっていました。この区間は代行バスが走りづらかったので残ったのでしょうか。

 下津井電鉄は軌間762mmのナローゲージの鉄道でした。いわゆる軽便ってヤツですかね。

 ネガの変色が酷くて見づらい画像ですが、当時の雰囲気は伝わると思います。

 下津井電鉄はこの後、瀬戸大橋開業のブームにあやかり観光鉄道への脱却を図りましたが、結局は瀬戸大橋開業から2年後の平成2年を以って廃線になってしまっています。

 画像の時代でも既に利用客は少なかったですが、駅が妙に下津井の街に似合っていたのを覚えています・・・。

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 「モノクローム寫眞舘」、今回の開催は一先ず今回で終了です。

 その今回は「モノクロ」だから撮れたものと題し、今で言う「デジカメ感覚」でシャッターを切ったものからの紹介です。

 カラーの記録が比較的多いひろみやですが、さすがに旅行の時以外はなかなかカラーフィルムを使えませんでした。やはり、高いですから。小遣いの範囲ではなかなかカラーフィルムを使うのは大変でした・・・。

 そんなことから、普段はモノクロで撮る事の方が多かったです。モノクロはフィルムの心配が無いので「冒険」的な撮り方や「取り敢えず撮っておこう」的な撮り方も可能です。

 画像の紹介です。

 上は広島駅でのカニ25「彗星」。24系になった「彗星」ですが、電源車に20系カニ22を24系に編入したカニ25が使われていました。外観はそのままの姿、24系の明るい青色に対しカニ25は20系の少し濃い青色のままでした。

 次は同じく山陽本線横川〜西広島を走るEF65−500。ブルトレから引退したEF65−500は貨物用に転用されました。その姿は今でも501号機や535号機で見る事ができ、ファンの憧れになっていますね。

 その次は山陽本線五日市駅付近の八幡川を渡るEF65。今、国鉄色のEF65で練習なんかとてももったいなくて出来ませんが、この時は望遠ズームの「初練習」だったはずです。朝日を浴びて走る姿です。

 で、最後は山陽本線西広島〜五日市間を走る可部線72系の試運転列車。これは狙ったわけでなく、本当に偶然に来たもの。普段、この当りは72系は走らないので貴重な記録になりました。

 本当はカラーで残せれば良かったとは思いますが、カラーフィルムだとこんなにこまめに線路際には立てなかったでしょうから、これはこれで良かったのかなと思っています。

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 以前(http://blogs.yahoo.co.jp/hiromiya_1638/23072594.html)の記事で下関駅の事を書いた事がありますが、今回の画像はその時の「モノクロ」版になります。

 本州と九州の間にある関門トンネルは、門司側に「交直デッドセクション」があるため長い間専用の機関車が使われて来ました。開通時は九州が非電化のだったので直流のEF10が専用機関車になっていましたが、九州が電化した後は交直両用の機関車が担当しています。

 その交直両用最初の機関車がEF30です。このEF30は関門トンネル専用の機関車、そのため海底トンネルを走るので塩害防止に「ステンレス」の車体になっています。

 EF30の後継がEF81−300。この機関車はご存知EF81の関門版。やはり「ステンレス」車体での登場です。

 今では、EF30は既になくEF81のみの「関門の主」ですが、一度、他線へ転じたEF81―300も呼び戻されたり、また改造の400番台や新製の450番台などが誕生し「主」にも新しい時代が訪れているようです。

 画像は、まだまだEF30の活躍の場があった頃の下関駅です。山陰線からの客車列車は牽引機がDD51からEF81−300に付け替えを行っています。その傍らで九州からはキハ66・67が乗り入れていました。

 火災のその後が気になる下関駅ですが、今は顔ぶれが一変しているのですね。

 

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 広島を最後に通過する二本の下りブルトレ、それは皆さんご存知の「あさかぜ」になります。

 20系客車の初使用列車となった「あさかぜ」はいわばブルトレの元祖。昨年、廃止になるまでブルトレの代名詞として扱われて来ました。

 実は、私の走行写真の原点はこの「あさかぜ」にあります。

 昭和52年、広島へ引っ越したひろみや、家のすぐ近くをブルトレが通るという事は生まれて初めての出来事です。

 早速、上り「あさかぜ1号(当時)」を見に行きました。時間は夜の7時。夕飯そっちのけで行ってみました。

 下関編成のみ短いものでしたが、日の入りの遅い広島ですからEF65−500の牽く20系「あさかぜ」を見るには充分明るく、その姿はとてもカッコ良かった。私鉄沿線に育った身としては国鉄の偉大さを感じるには充分な編成だったと思います。

 それからも何回か見に行きました。そしてある日、自分の「コンパクトカメラ」を持って行ってみました。その一枚はとてもお見せできるものではありませんが、私の走行写真第一号となりました。

 20系初使用列車の「あさかぜ」は東京口のブルトレでの20系最後の列車となりましたが、その下り「あさかぜ1号」・上り「あさかぜ2号」も昭和53年2月に24系25形に置き換わりました。

 それでも私にとって「あさかぜ」は一番身近なブルトレであり続けました。やはり広島に使いやすい時間帯に走っていたからでしょう。朝の通学の広電では、いつもこの撮影の場所で下り「あさかぜ3号」とすれ違いました。でも、その「あさかぜ」ももうありません。きちんとした記録は残せませんでしたが、廃止前には何回か東京駅に行って名残を惜しみました。

 「あさかぜ」が二本通過すると、ブルトレ撮影は終了です。そして撮影の最後の締めはグリーン車付きのキハ58系の普通岩国行に決まっていました。これは急行「ちどり」の編成で、上り「ちどり」になる列車が岩国始発だったのでその送り込み列車でした。
 
 今、考えると豪華な布陣でした。でも、つくづく思いますね、「昭和は遠くになりにけり」と。

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 前回の記事の「はやぶさ」のあとは「みずほ」が通過します。時間は5時30分頃でした。

 「みずほ」は東京から熊本・長崎行の寝台特急で、「さくら」と同じ14系14形を使用していました。行先が「はやぶさ」と「さくら」にダブるので人気的にはイマイチ。廃止も早かったと思います。ところで、この「みずほ」を自分の娘の名前に使った“鉄”父さんが多かったとの話があるとかないとか・・・。

 「富士」の前に名古屋発博多行の「金星」が通ります。これは名古屋発着の変り種でしかも581系。名古屋乗換えの新幹線とのコンビは、東京へ行くにも便利でした。

 「富士」は6時頃の通過で24系25形でした。今の「富士」「はやぶさ」は分割併合をするので14系なんですよね。この頃の「富士」は東京発西鹿児島行。「はやぶさ」と違い、日豊本線経由でした。当時、日本最長の1600キロ余を走る列車として有名でした。

 さてさて、未だ通過していないブルトレはあと2本になりました・・・・。

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