”なつかしいもの” 中国地方

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 夏至の頃は夜行列車の“撮り鉄”シーズン。これは今も昔も変わりません。

 広島は東京に比べて約40〜50分くらい夜明けが遅いので、夏至の頃を狙わないとなかなか早い時間に通過するブルトレは撮影できませんでした。

 しかも下り列車は逆光になるので「曇り」の日で無いとダメなんですね。

 この日はそんな条件が揃った日だったのでしょう。東京発のブルトレが全てネガに納まっていました。

 東京から広島まではブルトレで約12時間かかります。当時、東京発一番列車だった「さくら」は4時30分頃、「はやぶさ」が5時頃に通過していきました。

 今回は先ず、その「さくら」と「はやぶさ」からご紹介です。

 「さくら」は東京発のブルトレ一番列車で長崎・佐世保行でした。分割併合運転をするので14系14形客車を使用しており、この頃は3段寝台でした。当時は、3段寝台車は「白帯」二段寝台車は「銀帯」ときっちり分かれていました。

 約30分後に通過する「はやぶさ」は東京発鹿児島本線経由の西鹿児島行。今では復活しようとも復活できない列車になってしまいました。鹿児島本線も一部が第三セクターの肥薩おれんじ鉄道になったり、西鹿児島の駅名も鹿児島中央になったり・・・。時代だと思います。二段寝台の「はやぶさ」は24系25形、しっかり「銀帯」が巻かれています。

 さて、次に通過する列車は、果たしてなんでしょうか・・・。次回に続きます。

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 昭和57年夏、「やくも」号で米子に着きました。

 ここで皆さんにお詫びをしなければいけません。このネガに写っている「やくも」は381系。あれ、伯備線電化はいつだっけ、と考えてしまいました・・・。

 調べたところ、電化は昭和57年7月1日。11月15日ではありませんでした。本当に申しわけありません。関連記事の方は後ほど直しておきますので宜しくお願いいたします。

 ところでその昭和57年夏、米子から福知山まで旧形客車の普通列車に乗りました。福知山から先は谷川経由で加古川線に乗る予定です。

 米子駅で「かに寿司」を買ってスタートです。窓の開く普通列車、当日は結構涼しかったので適度に窓を開けるくらいで快適でした。

 途中何箇所で列車交換があります。その都度、ホームへ出て撮影が出来ます。いいですね、普通列車の旅は。しかも旧形客車ですから「ドア」が閉まってしまう心配がない。列車が走り出しても「飛び乗れば」いいのですから(車掌さん、すみませんでした)。

 特急「まつかぜ」と交換しながら鳥取駅に着きました。高架の鳥取駅には「不思議な」編成が・・・。なんと旧客の後ろにキハ40が!乗客はいないようなので回送なんでしょうかね。

 特急「あさしお」ともすれ違いました。今、「出雲」で話題のこの区間、乗降客もあまりありませんでしたね。この辺が「出雲」の運命を決めてしまった理由なんでしょうか。

 鳥取県から兵庫県に入りました。曇天の夕方、餘部鉄橋にさしかかりました。思わず「窓」全開で撮影しました。ついにここの記録は残せず終いになりそうですが、車内からでも記録しておいてよかったと思います。

 福知山でディーゼルカーに乗り換え、谷川へ向かいました。すっかり日が暮れた中、大阪行きのディーゼルカーは快調に飛ばし、加古川線の乗換駅である谷川に到着しました。

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 昭和56年、新幹線が東海道と山陽しかなかった頃、新幹線車両は“0系”しかありませんでした。

 “0系”って呼称は今では結構一般的ですが、当時は“0系”しかなかったので“0系”という呼称は一般的ではなく、特に呼称せずに、ただ「新幹線」と呼んでいました。

 当時は一種類しかなかった新幹線車両、ホームで記念撮影する家族はいても電車自身を撮影している人は殆どいませんでした。

 私も何気なく撮影した数枚だけですね。特に意識して撮影した事はありませんでした。

 それが今では懐かしい存在に。原色の0系はおろか100系までが無くなってしまいました。個人的には一番好きだった原色の100系は撮影せずに終ってしまいました。

 画像は岡山駅です。0系オリジナル、今見ると非常に「かわいい」顔をしていると思います。

 いまや全国各地に色々な新幹線車両が存在していますが、皆さん、記録の方はお済ですか???新幹線車両も日々開発が進んでいますので、今の車両もいずれ置き換わる日が来るとはずです。バラエティに富んだ車両たちが存在する新幹線。自分的にはしっかり記録しておかなきゃ、と思っています。
 

 

岡山の市内電車

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 前回の「ちょっとブレイク」で駄文にお付き合いいただいた方々、本当にありがとうございました。

 そんな事で今回の記事は、一つ、短めにします。

 昭和56年頃の岡山の市電です。

 岡山の市電は路線は短いものの、今でもすごく元気。路線延長の話や、南海の貴志川線の経営を引き受けるなど、見どころの多い会社です。

 早速、画像の紹介です。

 一番上は3000形。この電車は東武の日光市内電車からの転入車。今はリバイバルで東武色になっている車両もあるとの事です。

 次は2500形。元の呉市電の電車です。

 で、最後はこの当時、流行り始めた「軽快電車」もどきの7100形。足回りは古いものでした。

 「後楽園」観光にもってこいの岡山の市電。皆さんも一つ岡山に行かれた際は乗ってみてください。便利な電車ですよ。

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 最近、ちょっと仕事が忙しくなってきて、帰宅が遅くなっていました。そんな関係で記事の更新が少し開いてしまいました。申し訳ありませんでした。久し振りの更新記事は、以前の岡山駅の徹夜記事の続きになります。

 前回の岡山駅で徹夜した帰り、伯備線に行って見ました。目的は振子電車がどれだけ「傾く」かを記録してみたかったからです。

 岡山〜倉敷間は「振子」を使用しないはずでしたので、倉敷〜清音に行きました。

 倉敷から北は下り列車は正面がどうしても「逆光」。後追いで振子を強調してみました。

 おお、結構傾いているものですね!

 次に115系の普通電車が通過して行きます。

 明らかに傾いていません。やはり、差がありますね、比較すると。

 伯備線の電化は山陰本線初めての電化でもありました。伯耆大山から出雲市(実際は知井宮=今の西出雲)の間にも電車が走ることになりました。実は岡山の115系に耐雪耐寒仕様の1000番台が配属されているのは伯備・山陰線での使用を考慮したからなのです。

 でも、この381系は左右によく揺れます。最新型の振子電車は乗った事が無いんですが、この381系は何回か乗ってます。キハ時代の「やくも」には食堂車が付いていましたが、この381系にはありませんでした。でも、もしあったらカーブを通過する時、テーブルの上の食事が流れて行ってしまうでしょうね。

 さて、次回は岡山市内に戻ってみましょう。まあ、実際のこの日は家に帰り寝ましたけど・・・。

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