”なつかしいもの” 中国地方

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 今回は、広島駅に発着する夜行列車の姿を「少しだけ」紹介します。

 「少しだけ」って、なんで「沢山」じゃないの?ひろみやはケチだなぁ・・・。なんてお思いの方もいらっしゃるかとは思いますが、当時の画像はある理由で殆ど掲載できないのです。

 その理由は画像の記録に殆ど「ストロボ」を使用してしまっているからなのです。当時の広島を通る夜行列車、全て記録はあるのですがスキャンすると殆どが「ストロボ」を使用してしまっているのです・・・。当時はみんな平気で使っていたのですが、今考えたら本当に大変危険な事をしてしまったと反省しています。

 その反省から今は駅撮りする時は「ストロボ」は当然の事、私は「三脚」も使用しません。その分、高感度撮影と一脚でカバーしています。駅のホームは公共の場所。私は一般の利用者の邪魔になる三脚の使用も(?)と思い、使用を控えています。先日、ある駅で列車の入線に危険のある場所で、更に利用客の通行の邪魔にもなる場所で三脚を堂々と立てて、ストロボ使用を「罵声」で注意する輩がいましたが、ほんと「どっちもどっち」でした。是非、やめていただきたいと思いますね。

 話は戻り、昭和50年代前半の広島駅。お見せできる画像を紹介します。

 一番上はEF65PFに変わったばかりの「はやぶさ」。この場所は「三脚」を使用しても迷惑にならないホームの先端で、皆で仲良く三脚を並べての撮影でした。

 次は早朝に名古屋から到着する「金星」で夏のみ撮影可能な列車でした。日曜の早朝、どこからともなく「同業者」というか「ファン」が集まって来ています。この日の私は「保護者同伴(!?)」の徹夜撮影だったと思います。

 最後は定期列車から引退した20系を使用した臨時「あさかぜ51号」。牽引機はEF65PFの「ヘッドマーク」無しでしかもナハネフ23・・・。取り敢えず「後姿」でも載せておきます。

 当時の広島駅は「徹夜しても飽きない」駅でした。ほんとに眠くならなかったですね、楽しくて。

 さて、一番線ホームで「天ぷらうどん」食べて帰ろっと・・・。

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 昭和50年、新幹線が博多まで開通した後の広島駅。朝晩は夜行列車が発着するものの、昼間はノンビリしたものでした。

 山陽本線は快速・普通のみでしたが、三次方面に向かう芸備線には急行が走っていました。

 急行は当然の事、DCでした。松江行「ちどり」、新見行「たいしゃく」、津山行「やまのゆ」の三種類があり、「ちどり」が一番本数が多かったです。

 広島は当時からバスの発達している地方。広島から山陰地方へは「広浜線」などの陰陽連絡線もありましたが、高速道路が無かったのでまだまだ鉄道も重要な役割を担っていました。

 上はその芸備線急行で「ちどり」+「たいしゃく」の二階建てが多かったですね。この急行達は走行距離は短縮されたものの、今でも急行「みよし」と名前を変えてJRにおける希少な定期急行として活躍しています。

 中は50系客車。これは旧型客車の置き換えとして誕生した系列。当時は「ブルトレ」に対して「レッドトレイン」と名づけられていました。この50系も「なつかし系」になってしまいました。

 最後は国鉄色のキハ23。このホームに止まっているという事は芸備線ではなく可部線の列車だと思います。キハ20系のキハ52は最近、国鉄色でリバイバルされており、ちょっと見慣れた存在ですが、この地味なキハ23系の国鉄色は見かけなかったような気がしますが。

 今回はチョット記事が「地味」だったので、次回は少しだけですが華やかな記事にしてみたいと思います。

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 ちょっと更新に間があいてしまいました。実は、金曜の夜・土曜の昼・日曜の朝と“撮り鉄”をしていたため、なかなか更新が出来ませんでした・・・。

 ところで今回は小郡駅に来ました。今は新山口駅と改称した小郡駅は山口県中部の交通の要所で、新幹線・山陽本線・山口線・宇部線とさまざまな路線が乗り入れ、九州からの交直両用電車の421・423系の宇部線を廻って小郡まで顔を出していました。

 そんな理由から小郡駅では「旧型国電」の記事の際に登場したクモハ41やクハ55のほか、色々な車両が見られました。

 昭和54年夏、小郡駅の一番ニュースといえばやはり「SLやまぐち号」の復活でしょう。

 早速、広島からカメラに「コダクローム」を装填して出掛けました。華やかな中、姿を見せたのは「C57−1」。この当時、復活蒸気の機関車選定の際は梅小路の保存機から選んだわけですが、C57というのは意外でした。C57は動輪の大きさからしてもどちらかと言うと高速運転を行う機関車。ちょっと山口線にはどうかな?と、思いました。

 ところでこのC57−1はちょっと「おめかし」し過ぎでした。ピカピカ過ぎる車体に大きな集煙箱。私の蒸気機関車のイメージはどちらかと言うと「煤けた」機関車でしたから、ちょっと違和感がありました。あと青い12系客車も単なる臨時列車のような雰囲気をつくっていました。私は12系が余程嫌だったのか、12系を写さないようにしたらテンダが切れてしまっています・・・。

 「やまぐち号」は翌月、仁保〜篠目で「白黒」フィルムを使って一度撮影をしています。でも翌年には高松へ引越ししてしまい、それからは残念ながら「やまぐち号」との縁は無くなってしまいました。

 あれから26年。羽越線の事故や阪神大震災でも甦った不死鳥C57−1。幾度の不調を克服して、未だに走り続けています。その26年の歴史の中には私が理想としていた「自然な姿」のC57−1もあったようで、その姿は是非見てみたかったものでした・・・。

 また、当時の小郡駅、他の列車達も今となってはSL以上に懐かしい顔ぶれが揃っていました。

 当時の山口線のクイーンと言えば、特急「おき」でした。でもさすがのキハ181系もC57の前には主役の座を渡さざるを得ませんでした。今、見ると、当時は当たり前だったJNRマークが凛々しいですね。

 最後は広島区のEF58。この頃の山陽本線にはまだまだ荷物列車があり、EF58も当たり前に走っていました。

 この三枚を見ると、一番変わっていないのがC57−1なんですね。

 復活蒸気を走らせ続ける事。それは想像以上に大変な事なのでしょうが、出来ればいつまでもC57−1には走り続けてもらいたいものです。私が初めて“新山口”駅へ行く時には、是非再会してみたいものです・・・。 

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 先日、下関駅が大変な事になってしまいました。理由を聞けば聞くほど「納得いかない」ものでした。市民にも親しまれたこの駅は、鉄道ファンの間でも「大きな存在」でした。

 ところで、その「関門トンネル」の入り口の下関は鉄道交通の重要拠点。今でこそ「富士・はやぶさ」「なは・あかつき」だけになってしまった下関のブルートレインですが、当時は「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「富士」「あさかぜ」「彗星」「明星」「あかつき」と、非常に多くがありました。

 このブルートレインは皆、この下関で機関車を交換します。この日は広島から急行「くにさき・阿蘇」で下関に朝5時に着いてからの撮影でした。確か、中学の友人と二人で行った時でした。

目的の列車は「さくら」「みずほ」「はやぶさ」。この三つは広島では夜明け前なので撮影が難しかったのです。

 カラーより白黒中心だったこの日の撮影の中で何枚かを載せます。列車はご覧いただければ解ると思います。まだEF30が主力だった時代でした。

 ここへは九州から普通電車もやってきて、「九州はすぐそこ」を感じます。




 ところで、今回のテーマは「西から東へ・・・。」この後九州へ行き、また東へ「寄り道」をしながら進んで行きたいと思います。尚、更新は極力毎日したいと思いますが、一日おき等になる場合もあると思います。何卒、よろしくお願いいたします。

 

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 「なつかしの鉄道」旧型国電特集、最終回の今回は小野田線本山支線のクモハ42の記事です。

 最後の旧国として残っていた本山支線のクモハ42。最後は3両あったのが次々と引退し、最後は1両だけになってしまいました。その最後の1両も2003年春、宇野線でクモハ84を置き換えたクモハ123と交代し、引退しました。廃車になった2両を部品取り用に使っても、もう、限界だったのでしょう。このクモハ42は昭和8年製、70年間走り続けたのですから。

 この本山支線には1993年の夏に訪れています。翌年からは「家族持ち」になるので「旅行をしまくった」夏でした。

 この時は九州の柳川の風景を撮りに行く途中でした。台風の影響で運休が懸念された「さくら」号、なんとか無事に東京駅を出発しました。この時「さくら」のA寝台の最初で最後の体験をしました。もう、「さくら」もないのですからね・・・。

 東京発一番の「さくら」で行くと小野田「本線」を走るクモハ42が体験できたのです。居能から折り返しで乗ったクモハ42から見た厚東川の朝の風景は非常にすがすがしいものでしたね。

 雀田からいつもの本山支線に入ります。たった二駅で終点の長門本山です。

 長門本山は昔、海底炭鉱があった時代の炭鉱の入り口の町。そのため駅のすぐ先には海が広がっています。その名残の駅構内にちょこんと止まるクモハ42。なんだか平成の時代に取り残された光景です。

 乗って来た電車が雀田へ一往復して戻って来ました。私は先を急ぐので、その電車に乗って雀田に向かいました。もう、ここでクモハ42を見ることは無いだろうな、と、思いながら・・・。

 でも、この時から10年近くも走ったのは凄いなと思います。引退式も結構盛り上がったとか。JRの方や地元の方のこの電車への思いが強かったからなのでしょうか。それほどの魅力のある電車、クモハ42だったのでしょう。

 もう、今、全国を探しても旧型国電は走っていません。それどころか中小私鉄からも「釣掛式電車」は消え去ろうとしています。でも私達の年代は子供の頃の電車といえば「旧国」のような「釣掛式」電車という方も多いのではのではないでしょうかね・・・。そんな電車達、本当にごくろうさまでした!



 「なつかしの鉄道」旧型国電編は今回で終わります。次回からは折角、山口県まで来ていますのでもっと西へ行ってから今度は東へ戻ってみましょう。また、「旧国」などという「ディープ」な記事が続きましたので、もうちょっと、「一般受け」する記事にしていく予定です。




※ 宇野線のクモハ84の記事で「クモハ123は6年後山口県で・・・」の件はこのクモハ42のことなのですが、6年は8年の間違いでした。本文は訂正してあります。ここでお詫び申し上げます。

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