|
皆さん、クモハ84という電車をご存知ですか?え、“クモニ”じゃないの?なんて思う方もいらっしゃると思います。 昭和63年に瀬戸大橋が完成すると、それまで岡山から宇野まで走っていた宇野線は岡山から茶屋町までは瀬戸大橋線の一部になりました。快速電車も「備讃ライナー」から「マリンライナー」に名前を変えて岡山と高松を直通するようになりました。 ところが宇野線は名前の通り岡山から宇野までの路線。瀬戸大橋ルートから取り残された茶屋町〜宇野間は12両の快速が走る路線から一気に“ローカル線”になってしまいました。 単行で充分な需要のこの区間にどんな車両を投入しようかと考えたJR西は、荷物輸送廃止で余剰になっていた荷物電車を改造した電車を投入する事にしたのですが、クモハ123の種車であるクモニ143が足りず、なんとクモニ83を改造種車にしたのです。 ここに最後の「旧型国電」いや「旧型J電(???)」、クモハ84が誕生したのです。今であれば125系を配置するところでしょう。 クモハ84はクモニ83が種車ですので元を辿れば72系。しかも快速運転があった宇野線だったので、このクモハ84にも茶屋町〜宇野間の快速がありました。これがまた最高!高速で走る快速はモーターを唸らせながら、爆音をたてて走りました。 しかしこのクモハ84は平成7年、僅か7年の活躍で阪和線の羽衣支線から来たクモハ123によって置き換えられます。宇野線版「平成の奇跡」もそう長くは続かなかったのです。なお、このクモハ123はこの8年後、「山口県」でまた「憎まれ役」を買う事になります・・・。 中国地方に来ましたので、次は「福塩線」の70系・・・他(!?)の記事の予定です。 ※ 尚、画像に日付が入っているのは“鉄”休業中の影響。何卒ご容赦ください
|
”なつかしいもの” 中国地方
[ リスト | 詳細 ]
|
今回も“ちょっとブレイク”です。 |
|
今回、高松時代のネガを探しているうちに高松周辺でなさそうなネガを見つけました。どうやら架線があるみたい・・・。何物かな、と思い、スキャンしてみました。すると・・・。 |
|
広島の最初の記事で国鉄を「きしゃ」、広電を「でんしゃ」と呼んでいた話をしましたが、今回はその「でんしゃ」である広電の宮島線を紹介します。(ちなみに「きしゃ」「でんしゃ」とも「き」と「でん」にアクセントがつきます。) ここで皆様にお知らせです。今回で“なつかしの電車”in広島 は終わります。今回のテーマは、ほとんど自分一人の回想録になってしまいまして申し訳ありません。お付き合いいただいた方、本当に有難うございます。ところで「ブルトレ」は?「可部線の72系」は?という方もいらっしゃると思いますが、これらは改めて紹介するつもりです。 上:2500形 広電五日市〜楽々園(当時は佐伯区役所前はありませんでした)
2000形と2500形は夜、電照広告が綺麗でした 中:1070形 楽々園〜山陽女子大前 下:1080形 山陽女子大前〜広電廿日市 |
|
花電車が走っているうち(!?)にHITが2000を超えました。本当に有難うございます。前回1000HIT達成よりペースが上がってます。ほんとに、こんなブログにお付き合いいただいている方が増えていること、心から感謝です! さて、前回の「花電車」で広電の市内線を少し紹介しましたので、続けてもう少し「市内電車」を紹介しましょう。 と、思ったのですが、画像の記録がない!やはり、住んでいる時はなかなか記録できてないもんですね。と、言う事で昭和56年頃、広島に遊びに行った時の記録です。 上は己斐(広電西広島)の1150型。これは元神戸市電です。当時の市内線は各地の路面電車の“お古”のオンパレード。自社発注車を探すのが大変でした。今でも結構残っているとの事ですね。右隅に旧大阪市電750型が見えます。 中は市内線と宮島線を直通する2500型。私が広島を出てすぐ、パンタグラフを中央寄りに移設しました。今も3100型に改造され健在とのことですね。ここも己斐です。宮島線から来た直通車は、鉄道線の駅である「広電西広島」で降車客を扱い、市内線の駅である「己斐」で乗車客を扱っていました(下りはその逆)。今は、どうなっているのでしょうか。そういえばここの右手にある「広電会館」にはよく「Nゲージ」を買いに来ました。 最後に、これは昭和53年秋、京都市電が廃止になり広電へお嫁入りの際の画像。荒手車庫の横から記録できました。右の隅に3000形になる予定の、西鉄1100型(屋根が角張っているタイプ)が改造を待っています。 広電の電車はとても一、二回の記事で書ける内容でない程、種類が沢山あります。専門のHPを開設されている方も多いので、そちらに任せる事とします。 次回は「西広島」から「安芸の宮島」へ向かう、宮島線の記事の予定です。
|



