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前回の記事で、カープが初めて日本一になった時の記事を書きましたが、今回はその時運転された広電の「花電車」です。 「日本一」の余韻に街中が酔いしれている中、市内電車に「花電車」が登場しました。これを記録するために広島駅前に行きました。 今考えて見ると、紙屋町や八丁堀で記録したほうが貴重な資料になったのですが、当時は「花電車」をしっかり記録するのが目的でしたから仕方ありません。 上の画像は「被爆電車」として有名な650型と並んだ姿。被爆直前は運転手さんも不足していて「女学生」(今で言う「女子高生」)の運転手さんもいたそうです。この、650型も運転していたのかな。右の方に見える「赤バス(広島バス)」や「シャコタンのケンメリのスカG」、懐かしい形をしてます。 中の画像を見ていただくと、やはりなんか寒そうですね。この日、確か風が強く、寒かったと思います。 下の画像は、日本三景「安芸の宮島」へ向かう2500型宮島線直通車とすれ違う姿。右を走る「ギャラン」のタクシーにも「時代」を感じます。 フイルムの色も変色してしまう位、「遠い話」なんでしょうか・・・。今年も奮わなかったカープですが、是非、来年は「花電車」を走らせてください!
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”なつかしいもの” 中国地方
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今回も前回に引き続き、広島編です。旧型国電ばかりだった山陽本線でしたが、ちょっと「花形」っぽい運用がありました。広島〜下関間の「快速」運用です。 |
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さて、今回から“なつかしの鉄道”in広島、を記事にします。 私は昭和50年代前半、3年間広島で過ごしました。東京から広島へ行き、何がビックリしたかって、みんな「国鉄線」の事を「汽車」って呼ぶんです。もう、聞いた瞬間、私の頭の中では「蒸気機関車」が走り出してしまったんですけど。 ある日、友達と広島市内に行くとき山陽本線に乗りました。初めて乗った「汽車」。でも、みんなが言う意味がわかるような気がしました。来る電車はほとんど「湘南電車」80系なんです。80系は元祖「湘南電車」で、知らない方々は「旧型客車」がそのまま「電車」になったと想像してください。そんな、造りの電車です。だから「汽車」なのかな。ちなみに広島では「広電」の事を「電車」と呼ぶんです。私も80系は一回ぐらいしか乗ったことが無かったので、ビックリ。それと同時に、すっかりファンになってしまいました。だって、「旧客」に「釣掛式モーター」が付いているんですよ!ハッキリ言って「ヨダレもの」です。 そんな80系に混じって、呉線用に70系、というか71系もいました。つまり「山スカ」中央東線用に屋根を低くしたモハ71を連ねた編成です。この71系も呉線の間合い運用で山陽本線にも姿を見せていました。なお、当時の新性能車は153系と111系の「MT46コンビ」のみでした。 そんな「旧型国電」も小山から東北線の冷房化で追われた115系0番台の転属車と新製の115系2000番代によって淘汰されて行きます。ちなみに最後に残ったのは71系のほうでした。 なんとか山陽線の「長距離旧型国電王国」時代の最後に間に合った、って感じでした。 撮 影 上・中: 80系 昭和53年6月 五日市〜廿日市
下 : 70(71)系 昭和53年1月 広 島 |
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私が初めて「ブルートレイン」なるものに乗ったのは、昭和53年8月の「安芸」が初めてでした。今、考えてみるとなんてマイナーな列車が初列車になってしまったものかと思います。 |
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昔、国鉄のキャンペーンには幾つかのキャッチフレーズがありました。 |



