”なつかしいもの” 四国地方

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 昭和63年4月10日、着工から9年6ヶ月をかけて四国島民の「夢の架け橋」瀬戸大橋が完成しました。

 四国は目と鼻の先に本州や九州がありながら、その間には橋が一つもありませんでした。さらに船は気象に左右されやすく、霧が出るとすぐに「停船勧告」がでて運行がストップしてしまいました。大阪で印刷される全国紙の新聞の等は船が止まると夕刊の時刻に漸く朝刊が届くという状態、梅雨の時期など殆ど毎日この状態でした。

 この瀬戸大橋の完成は特に香川県民にとっては非常に大きな出来事でした。

 昭和63年夏、約3年ぶりに高松を訪れました。

 このときは「瀬戸大橋博」の開催中、まさにお祭りムードの時でした。まだまだ駅の施設等は昔のままでしたが駅は電化され、当然電車が走り、東京からの寝台特急「瀬戸」も高松までやってきました。

 橋のない非電化の時代しか知らない私にとって、高松駅に「電車」と「瀬戸」が居る姿には本当に「新しい時代」を感じました。

 しかもなんと「瀬戸大橋博」のための臨時快速に117系が関西から応援に来ていました。私にとって117系は「憧れの存在」。その117系が高松駅にいる姿はどうしても記録に残しておきたかった。一枚目でなんとか「瀬戸」とのコンビで一枚記録出来ました。

 本来の快速「マリンライナー」は二枚目の画像の213系。この213系も今は置き換えられてしまっています。

 最後は昭和62年3月の電化時に配属された121系。一ヶ月だけでしたが、四国唯一の「国電」でした。この駅は高校通学時に使用していた駅なんですが、この駅に「電車」や「瀬戸〜サンライズ瀬戸」が通るなんて今でもビックリですね。

 今では高松駅はとっても綺麗になったとの事。綺麗な電車たちにお似合いの駅になっているのだと思います。

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 四国の高松に住んでいた事のあるひろみやですが、当時の高松は四国の交通の要所。四国の優等列車の殆どが高松発着でした。

 そんな中、高松に姿を現さない急行が存在しました。

 その名は急行「よしの川」。「よしの川」は名前の通り、吉野川沿いを走る急行で徳島と阿波池田を結んでいました。

 その「よしの川」を記録しに阿波池田へ行ってみました。

 阿波池田は土讃本線と徳島本線の乗りかえ駅。高校野球で有名な池田高校がある町です。山の中に開けた町の中には広い構内の駅がありました。

 「よしの川」を記録した後、普通列車で徳島へ向かいます。その車窓はそれはのどかなもの。バスの車庫にはボンネットバスも見えます。

 途中駅の三加茂で同じく普通列車とすれ違い。島式の駅のホームには投げられた「タブレット」を受け取るものが見えます。急行列車の時は使用していたのでしょうかね。

 当時、日曜日にふらっと出掛けた時の記録ですが、今見てみると「贅沢な日帰り旅行」をしていたのだな、なんて思ってしまいます。

 当時の四国では当たり前の光景。この頃は瀬戸大橋完成前で、電化区間や高速道路が皆無の時代でした。

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 半年の区切りをつけた「ひろみやの“なつかしの鉄道”」ですが、今日からまた通常記事に戻ります。

 高知の土佐電は「とでん」と呼ばれ市民に親しまれている電車。市内電車ですが多少の郊外へも足を伸ばします。

 この電車「とでん」という名前から東京の人間は「都電」を連想してしまいます。しかもさらに電車まで「都電」に似ているという偶然さ。土電200形は都電6000形、土電600形は都電7000形をモデルにしているとの事です。さらに市内中心部には今は閉店になったものの池袋東口にある某デパートがあったなど、偶然にしては似すぎている高知なのです。

 そのせいなのでしょうか、電車が「ごめん、ごめん」とあやまりながら走ってきます。真似し過ぎたとでも思ったのでしょうか・・・・???

 いえいえ、それはまったくの冗談。この電車は「後免町」行の電車です。土佐電は市内から郊外の伊野や後免に足を伸ばしています。その郊外へ行く電車にはこのような「ひらがな看板」をつけて走っているのです。ちょっとユーモラスな感じの行先表示ですね。

 画像の場所は文珠通。偶然ですが、画像に電停名が写っていてよかったなと思います。場所がわかりますから。上二枚の画像は700形。これは下関の山陽電軌から高知へやって来た電車です。

 次は600形。元都電7000形をモデルにしています。連結運転可能なため、配管類が目立ちます。

 最後は200形。これは元都電6000形をモデルにした車両。冷房車なんですね。

 高知は私も大好きな街で、今でもこの頃の電車や昭和50年代のバスが健在だとか。また行ってみたい街の一つです。

松山の郊外電車

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 前回の伊予鉄の市内電車に続き、今回は伊予鉄の郊外電車を紹介します。

 伊予鉄の鉄道線は「市駅(しえき)」と呼ばれる松山市駅から高浜・郡中港・横河原の三方へ伸びる路線です。

 今の主力車両は元京王電車で、一部オリジナルの新型車両もあります。サービスのよさでは当時から中・四国地方で一番との評判でした。

 当時の電車はまだまだ旧型車の時代。オリジナル車両に加え、京急等からの譲受車を西武所沢車両工場で改造した車両を使用していました。

 そんな車両群をご覧下さい。

 一番上は大手町。市内電車との平面クロスです。平面クロスは阪急の西宮北口(http://blogs.yahoo.co.jp/hiromiya_1638/16916221.html)がありましたが現在はなく、今でも残る平面クロスは全国でもここだけのはずです。

 次の画像たちは松山市駅の電車たち。122号は元京急400形です。次の206号は扉配置が変な電車。実はこれは「モハニ」で一番前のドアは荷物用なのです。

 また、きちんと「西武所沢車両工場改造の証」がついている車両もありましたね。西武電車ファンの私は思わずシャッターを切ってしまいました。

 まだまだこの頃の伊予鉄の鉄道線はオリジナルの電車達がいい味を出していた時代でした。

 

松山の市内電車

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 今回は瀬戸内海を渡り、四国の松山にやって来ました。昭和57年の夏だったと思います。

 西日本は路面電車のある都市が多く、中・四国地方では岡山・広島・松山・高知に存在します。しかもその四つとも利用者の事を考えて色々なサービスや施策を行っています。

 松山の伊予鉄は鉄道線も持っていますが、上手く両方を連携させてお客様本位のサービスがなされている会社として当時から有名でした。

 松山市は松山城の周りに市街地が広がっています。市内電車もその松山城を囲む環状線を中心に路線を形成しています。国鉄松山駅や伊予鉄松山市駅へ行く電車が多いのはいいのですが、ビックリしたのは道後温泉行が多かった事。そんなに「温泉」に入る人が多いのかな、なんて考えてしまいました・・・(笑)。

 今は新型車両も投入されていますが、昭和50年代半ばから車両はオーソドックスでしたが冷房化には積極的でした。ご覧戴く車両はすべて冷房車ですね。

 さて画像の紹介です。一番上は愛媛県庁前の55号。この県庁前の市内電車の風景は松山の代表的な風景の一つだと思います。

 次は大街道付近の51号の画像。一緒に写っているバスや車も懐かしいです。

 最後も県庁から大街道を望んだところでしょうか。愛媛県物産館とありますね。これも51号です。
 
 伊予鉄の市内電車は今でも本当に「松山市民の足」になっています。

 次回は同じく伊予鉄の「郊外電車」を紹介します。

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