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よく、当時の四国の事を“気動車王国”と呼びますが、これは正確には“気動車「急行」王国”であったと私は思います。前回の記事で「特急」が特別な存在であったことを書きましたが、四国の長距離(実際は中距離ぐらいかな)列車は「急行」が中心でした。 予讃線の「うわじま」「いよ」、土讃線の「あしずり」「土佐」、高徳線の「阿波」「むろと」、唯一高松で見られなかった徳島線の「よしの川」がありました。これだけの種類の急行が各都市間を走り、ほとんどに「グリーン車」「車内販売」のあることなんて、今では考えられないと思います。 使用車両はキハ28・キハ58・キハ65・キロ28・キロハ28等。これらを適宜に組み合わせての運転は「特急」よりはるかに効率のよいものでした。これだけ種類があるので本数も多く、線路際でカメラを構えていると普通列車より多く通ります。 当時、高松の鉄道の色は濃淡あれど、琴電も含め「赤とベージュ」のツートンばかりでした。これは後日の記事を見ていただければお分かりになると思います。いまいち面白みに欠けると思っていましたが急行はヘッドマーク付きでしたので、全種類記録しようと沿線に通いましたね。 私が高松から引っ越した後のJR化前後を境に、瀬戸大橋の完成などの中「電化」や「特急化」などを経て今の四国の鉄道網は大きく変わりました。 更に今は、高速バスの発達がすごいとの事。なんたって、この記事の時代は四国には高速道路が「皆無」の時代でしたから・・・。 撮 影 昭和56年 上・中 高 松〜香 西
下 鬼 無〜端 岡 (おそらく・・・) |
”なつかしいもの” 四国地方
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今回から“なつかしの鉄道”in高松を始めます。 |
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前回の記事でようやく高松駅に到着しましたので、少し高松駅に寄っていきましょう。 |
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ここの所、旧型客車の記事が続いていますが、ヤ○ーブログがあまりにも重く、画像をたくさん貼るのが大変なので今回は一つエピソード。一人旅ではなく友人と一緒の時の出来事です。 私が高松に住んでいる時、東京の友人が遊びに来た事があります。そして私が部活があったので別々の特急「南風」で高知に行き、高知で待ち合わせ、一泊した後翌日は桂浜で海水浴をしました。 行きに東京から新幹線・宇野線・宇高連絡船・特急「南風」を乗り継いだ友人は、あまりの旅費に「帰りは“ノーマル”はないの?」と言い出しました。「“ノーマル”って何?」と私が聞くと「普通列車のこと」との返事でした。 確かに、高知発高松行という普通列車が夕方にあります。ただ・・・。と、思ったのですが彼は「ノーマルで帰ろう!」と、促すように言うのです。私は心の中で「自分はいいけど・・・。」と、一瞬思ったのですが「乗っちまったらこっちのもん!」と思い「そうしようか」と言いました。 海から帰るのが遅れ、「ノーマル」の発車時間ギリギリになりました。発車ベルがなる高知駅で友人はあせってます。「ドアが閉まるー。」でも、この列車、ドアがありません!?手動ドアなので発車してもまだ大丈夫!走り始めた列車に「ヒョイ!」(ごめんなさい、駅員さん) ようやく落ち着いて車内を見回した友人は東京の人間。板張りの車内、板張りの背もたれにボーゼン。日焼けした背中がヒジョーに痛い!!我慢して乗っていると日が暮れてきました。するとそれに比例して車内も「暗ーく」なりました。それもそのはず、白熱灯ですからー、残念ー! 特急で2時間ちょっとで着く高松ですが、3時間経ってもまた山の中。すると阿波池田にて「約一時間停車します。」の放送です。乗務員さんたちはそそくさと駅事務所に夕飯を食べに行ってしまいました。ということで私たちも途中下車して駅前の食堂でナイターを見ながら夕食です。なんか優雅!? 8時過ぎ、ようやく阿波池田を発車しました。あとは一直線、いや、前々回の記事の坪尻でスイッチバックして高松へ向かいます。うす暗ーい車内、痛い背もたれ、長ーい停車時間。出発して四時間以上が経ち、友人も「ようやく」これが「ノーマル」ではなく「アブノーマル」であることに気が付いたようです。もう遅いけど・・・。 10時過ぎ、約六時間かけて高松に着きました。当然、この時、背中の日焼けは最悪の状態になっていたのは言うまでもありません。 何が「ノーマル」で何が「アブノーマル」なのか、非常に考えさせられた一日でした??? ※画像はその「オハ61」の車内です。これは「蛍光灯」に付け替えがしてありますのでまだ「明るい」です。
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今回のテーマを始める時に、なかなか海の近くを走る所はない、と書きましたが、失礼しました。写真が出てきました。 |


