”なつかしいもの” 九州地方

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昭和54年・長崎にて

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 長崎駅の外に出てみました。

 当時の長崎駅はご覧の様な「風情のある」駅舎で市民や観光客にも親しまれている存在でした。長崎自体が風情のある街ですからそれにあった駅舎だったと思います。

 駅前の歩道橋からバスを記録してみました。

 長崎も含め九州は早くからバスが発達していて、鉄道以上に中心都市から各地へきめ細かい路線を展開していました。

 上が長崎県営バスで、次が長崎バスです。

 バスの車両は鉄道車両より寿命が短いですから、今思うとバスの記録の方が「懐かしい」存在になってしまいました。

 最後は石橋行の路面電車。これは「グラバー園」の下だったと思います。単線で川の横を走る路面電車に思わず一枚記録しました。

 結構、九州は観光で行ったのですが、あまり鉄道の記録を残していないのが今となってはちょっと残念です。

 北九州地区から長崎へと来た今回のテーマですが、次回は九州を離れまたまた中国・四国地方へ向かいたいと思います。

(なお次回記事を決めていませんので明日の更新はお休みさせていただきます。)

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長崎駅にて

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 長崎駅は皆さんご存知の通り、長崎本線の終着駅。観光名所でもあるので行かれた方も多いのではないかと思います。

 その長崎駅、これも昭和54年の話なのですが夕方は「あかつき」等の寝台特急等の姿も見られます。当時は「さくら」「みずほ」もあった時代です。

 画像の通り、当時の「あかつき」を牽引していたED76にはヘッドマークがありません。この「ヘッドマーク受難時代」の後、ブルトレが縮小する直前はかなりの列車にヘッドマークが復活したとの事ですが私は残念ながら“鉄”休業中であったので記録が出来ていないのです・・・。

 長崎・佐世保行のブルトレは肥前山口で分割するため、電源車の要らない、つまり発電エンジンが床下にある14系が担当していました。24系に二段式の25形が誕生して二年、14系にも二段式の15形が登場したのはこの前年でした。この「あかつき」も14系15形に置き換えられたばかりでした。

 最後の「あかつき」は臨時の「あかつき51号」。当時は繁忙期には「○○51号」という14系座席車を使用した座席夜行特急が多く走りました。「金星51号」なんてのもありました。

 長崎駅は終着駅独特の風情がありました・・・。

 次回はちょっと駅の外へ出てみましょう。
 

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 昭和51年に電化された両線では「かもめ」「みどり」の特急電車以外の急行列車や普通列車は、電化された後も電車化されず“ディーゼルカー”のままで運転されていました。これは昭和59年頃から713系や715系電車に置き換わるまで続きました。当時は「?」の施策でしたが、おそらく当時は新型電車を造る費用もなかったのではないでしょうか。

 画像の中には前回の「かもめ」「みどり」を待っている時に撮影したものもあります。

 上と中二枚は佐世保線。上はキハ20で中二枚はキハ17です。「タラコ色」と言われた「朱色」の塗装は「首都圏色」と呼ばれ、当時はまだまだ地方には広がっていませんでした。丁度、この頃から地方に広まり始めました。

 上の「国鉄色」キハ20のこんな大胆な構図での流し撮りは、もし今、この色が来たら「もったいない」の一言で流し撮りなんて出来ないですね(笑)。当時、ひろみやは中学二年生。やはり「若さ」ですかね???

 中二枚のキハ17の「タラコ色」はちょっと・・・ね。なんか「国鉄色」のまま、引退させてあげたかったと思います。

 最後は長崎本線のキハ30とキハ17。「架線下DC」は許せるとしても、キハ30のロングシートはねえ・・・。今のサービスの行き届いたJR九州では考えられないと思います。

 この車両たちは特急より数段、「隔世の感」がします・・・。

 折角、長崎方面に来ましたので、次回は長崎に寄ってみることにします。

 

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 今回は長崎本線・佐世保線に来ました。
 
 これは昭和54年の「かもめ」「みどり」です。「かもめ」と「みどり」の愛称は、元々関西と九州を結ぶ特急に使われていました。新幹線の博多開業時に一旦消滅したものの、九州内特急の名称として再起用されました。

 「かもめ」は長崎行で「みどり」は佐世保行。これは今でも変わらず続いています。編成の両数は合計で12両。途中の肥前山口で「かもめ」の8両と「みどり」の4両に分かれます。

 「かもめ」の8両はともかく「みどり」の4両は当時の特急としては珍しい短編成で
「ミニ特急」とも呼ばれていました。今では4両の特急は決して珍しくはありませんが。

 4両編成でもグリーン車を一両連結していました。「モロ」の無い485系ですから必然的にグリーン車は「クロ481」を使用していました。

 ボンネット型だったクロ481に対し、「かもめ」と連結するのはクハ481−200。つまり「みどり」は必ず「二つの顔」を持つ「ミニ特急」だったのです。

 急行「出島」「弓張」が頑張っていた長崎本線・佐世保線。電化によって「特急電車」が走り始めましたが、急行列車や普通列車は暫くDCで残りました。

 次回はこの「架線下DC」を紹介します。

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 今回は小倉駅の最終回です。

 小倉駅はいろんな列車が撮影できるいい場所であることは、前二回の記事でお分かりいただけたと思います。ところでそれは旅客列車だけではなかったのです。

 小倉駅にはホームと新幹線の駅の間に貨物線があり、そこを当時、結構多くの貨物列車が走っていました。

 当時、九州の電気機関車には赤い交流用のED72・ED73・ED76がありました。ED72は九州に初めて投入された電機で蒸気暖房を搭載した旅客用でした。その兄弟車がED73でこの電機は暖房装置なしの貨物・ブルトレ用でした。その後を継いだED76は蒸気暖房を搭載した旅客用での登場でした。今でもED76は残っていますが、当時のED76はまだまだ「新人」の雰囲気がありました。

 ED72・ED73角度の付いた正面が特徴的でした。この手にはDD54などがありましたが、結局ED76は「国鉄標準」の顔に落ち着きました。あと、旅客用の二形式は車長が長く、中間に付随台車が入っていました。

 画像はその三兄弟。上からED72、ED73、ED76です。蒸気暖房のあるED76が牽引しているのは貨車ではなく荷物客車ですね。

 さて、今回で小倉駅を離れます。なお「かもめ」「みどり」の紹介が未だでしたので、次回は長崎・佐世保方面へ行ってみたいと思います。

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