京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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豊国廟

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前にも書きました豊臣秀吉関係の史跡を追加します。秀吉の墓=豊国廟です。



秀吉は慶長三年(1598)八月十八日に亡くなり、その遺骸は遺命により京都東山の阿弥陀ヶ峰に埋葬されました。阿弥陀ヶ峯の中腹に太閤坦(たいこうだいら)と呼ばれる広場を造成、秀吉を祀る壮麗な権現造りの豊国社(とよくにのやしろ)が創建されました。この神社は社領1万石、境内域30万坪(約100万屐砲鮓悗觜大なものでした。しかし、慶長二十年(1615)の豊臣家の滅亡後は、豊国社は山上の豊国廟と共に徳川家により廃祀されてしまいます。

明治時代になって、明治天皇の命により、明治十三年(1881)豊国神社が再建され、豊国廟も明治三十一年(1881)秀吉公三百年祭に際し、阿弥陀ヶ峰の頂上に再建されました。
現在の豊国廟域は面積約7万坪、山頂まで全体で565段の石段があります。




まず東山七条の妙法院と智積院の間のなだらかな坂道「女坂」を登ります・・こういう30度程度の傾斜角の長い坂は、けっこう後でボディブローのようにじわじわ足にきますね。
さて、豊国廟といえば・・・あの石段です。大学時代には、サークル仲間らと駆け上がったこともある豊国廟の石段ですが、今回は体力を考えてゆっくりと登りました。
最初の約300段はなだらかで、その後に急な169段が続きます。息を弾ませながらの頂上まで登ると、突然、巨大な五輪塔が、お疲れ〜っという様に見下ろしているのに出会います。
この五輪塔、写真では大きさがわかりにくいですが、高さ10メートルの巨大なものです。

その他、この太閤坦(たいこうだいら)と呼ばれる辺りには、本殿の2、3の礎石や手水鉢(石船 長谷川守直奉納)等が残っています。また春には桜の名所でもあるようです。また表千家の残月亭、裏千家の桐蔭席の両茶室があり、毎年献茶祭等が行われています。


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