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前回の達磨の絵のお寺は、等持院でした。
等持院は学生時代含め少なくとも3回以上は来ているように思います。
学生時は、仏像や建築より庭園に興味があり、庭園で有名な寺院では、天龍寺、竜安寺、南禅寺、智積院、詩仙堂、曼殊院、三千院等が好きでした。等持院もお気に入りの寺院のひとつでした。
等持院の沿革を少し・・
足利尊氏は暦応二年(1339)に、室町御所近くに等持寺という禅宗寺院を創建し、その2年後の暦応四年(1341)に天龍寺の夢窓国師を開山としてその別院の北等持寺を開きました。
北等持寺は、足利尊氏の死後、その墓所となって、名を等持院と改め、禅宗十刹の筆頭寺院となります。その後、応仁の乱で焼失した等持寺と合併され、足利将軍家の菩提寺となりました。
その後の等持院は、応仁の乱以降の戦乱により堂宇は焼失し、豊臣秀頼らが再建。その後も改築が加わり、現在の方丈は、元和2年(1616)福島正則が妙心寺塔頭から移築したものです。
南庭に沿った方丈縁側は鶯張りで、歩くと良い音で鳴ります。
庭園は、夢窓国師作と伝えられる室町時代のものです。
西庭は、衣笠山を借景とし、芙蓉池を中心とした池泉回遊式庭園です。
足利義政時代の長禄元年(1457)寺院を復興した際に、池の北側に茶室清漣亭が加えられ「義政好み」と呼ばれるものになりました。その後も方丈焼失の復興により、石組なども改造されてきているようです。庭には椿、さつき、くちなし、芙蓉等の様々な花が植えられた華やかな雰囲気を楽しめます。
残念なのは、現在は、立命館大学の校舎のため、借景となる衣笠山が見えない事で、
庭に少し奥行きが感じられないことです。
もし衣笠山まで遥かに見渡せればこの庭はより素晴らしい印象になっていたでしょう。
(写真4、5)
一方、東側の池泉廻遊式庭園は、夢窓国師による創建時の雰囲気を維持しています。
心字池(心という字をかたどって作られた池庭)を中心に中ノ島を浮かべた静かな雰囲気で、西庭の派手さは有りませんが、心静かな気持ちになります。(写真5、6)
次回に少しだけ続きます。
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