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嵯峨野めぐりの際に、まず最初に立ち寄りそうな場所として、野宮神社や落柿舎があります。
それ程時間がかかりそうになく、ちょっと寄っていこうかという感じです。
落柿舎は、江戸時代の俳人、向井去来の閑居跡です。
長崎生まれの去来は、若い頃は武芸に秀でた人物で、軍学や新道等も学び、京都やその他を転居した後、32歳で松尾芭蕉の弟子となり、貞享三年(1686)に、嵯峨野に落柿舎を建てます。
落柿舎と言う名前の起こりですが、
この庵には40本の柿の木が植えられていましたが、ある時、商人がやってきて、去来に柿の実を一貫文で買うという約束をしてお金を置いていきました。
去来がその夜寝ていると「ころころ・・ひしひし・・」外では朝まで音がしています。嵐により、一夜にして全ての柿が落ちてしまったのです。
翌朝、全ての柿が一度に落ちるなど、この年になるまで見たことも無いと驚いた商人が金を返せといってきて騒ぎとなるのですが、金を返して解決した後、去来は友達への手紙で「落柿舎の去来」と名乗り始めます。この面白い失敗談から落柿舎と命名した去来の人柄も面白く感じます。
芭蕉も3度ここを訪ねていて、元禄四年(1691)には16日間ほど滞留し「嵯峨日記」を書いているように、2人の信頼関係は厚く、去来は後に「蕉門十哲」のに数えられる程の俳句の才を発揮することになります。
落柿舎の玄関横の壁には、去来が在宅であることを知らせるため掛けていたというエピソードに基づいて蓑傘が掛けられていて、ここを訪れる人は大体、この蓑傘の写真を撮ります。
庭には去来や芭蕉その他の句碑が点在し、落ちついた雰囲気です。
なお、落柿舎の北側の弘源寺墓地には、去来の子孫の墓があり、その中に40cm程の自然石に「去来」とだけ書かれた素朴なお墓があります。去来の遺髪を納めたといわれる「去来塚」です。
落柿舎は、実際、こじんまりした藁葺き屋根の小さな庵に過ぎません。
これまで何故こんな小さな場所が観光ガイドで結構大きく取り扱われるのかと思ってきました。
嵯峨野という場所にあるから脚光を浴びているという印象は確かにありますが、写真を撮っていると、小さなそれらしく演出された小道具が生き生きしてくる感じです。
今回は少し落柿舎を見直した気がしました。
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