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続きです。
仙洞御所の南池で一番知られるのは、州浜に敷き詰められた平たい楕円形の石で、その数は、11万1千個程あるそうで、石一個で米一升を約束して運ばせたという伝説から「一升石」とも呼ばれています。
仙洞御所の管理上の敵は、カラスのようで、カラスがこの石を動かしてしまったり、苔を引きちぎってしまうらしいです。
庭園の最も南には、醒花亭(せいかてい)という茶室があります。
「醒花」という名前は李白の詩から取られたそうで、池の周辺には、他にも江戸期の2軒の茶室があったようですが、現在は残っていません。
茶室の東庭には、加藤清正の献上という朝鮮灯篭があって良い感じです。
州浜に沿って行くと、冬に採取した氷を夏まで保管する氷室や、柿本人麻呂を祀った小さな神社あります。人麻呂をこの地に祀った理由は、仙洞御所は火災が多かったので、火が止まる→火止まる→ヒトマロ→人麻呂というゴロ合わせで祀ったそうです。
最後に近衛家の茶室、又新亭(ゆうしんてい)を見て、仙洞御所巡りは終わりになります。
この茶室は明治十七年(1884)に近衛家から献上されたもので、もともとはこの地に修学院離宮から移築した茶室があったのですが、火災で焼失したようです。
仙洞御所は、桂離宮や修学院離宮と同様、広大な庭園が満喫できる場所です。
宮内庁により管理された庭園というのは、葉っぱが散らばっていたり、汚れていたりする所が無く、実に綺麗でさっぱりしていて、紅葉の頃に、この優雅な池庭を巡るのは楽しいだろうと思いました。
当時の建物がほとんど残っていないのは残念ですが、この庭園を造らせた、後水尾上皇という人物について少し興味がわいて来ます。
後水尾上皇は、徳川幕府の圧力に抵抗した苦労多い生涯を送った人物として知られますが、33歳で皇位を退き、その後は上皇として4代の天皇の後見を行って84歳という長命な生涯を送りました。
仙洞御所の広大な庭園に接していると、こちらも徳川幕府が上皇との関係修復の意味で莫大な金額を投入し造ったようですが、20年後に修学院離宮のような大プロジェクトを行う必要など無い気がします。
修学院離宮は日本最大の庭園です。
見える限りの全ての山や町が庭の一部になってしまうという雄大な構想で、もしかしたら、日本人が造った最も巨大なランドアート作品なのかもしれません。
一説によれば、後水尾上皇は、自らが指揮して修学院離宮の作庭に取り組んだとも言われます。
この辺りについては、この秋に、修学院離宮を訪問した時に考えてみたいとも思います。
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