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前回、祟導神社(祟道神社)の森だけで終わってしまいましたので、境内の史跡について少しだけ・・・。
長い参道の途中には、「五味藤九郎の碑」が立っています。(写真1)
五味藤九郎豊旨(?-1680)という人物は、江戸初期の京都代官で、幕府領・禁裏御料支配を任務としていました。この碑は、彼が高野川東岸に用水路を開削し農業振興に貢献したことを顕彰するもののようです。
祟導神社(祟道神社)には、末社として小野神社があります。(写真2)
この地は、上高野一帯を支配した小野妹子の子孫達の本拠地だったようで、祭神は小野毛人(おののえみし)です。祟導神社の裏山の山腹、約140m程登った所に、この小野毛人の墓があるようです。
「小野毛人の墓」について・・・
小野毛人は、小野妹子の子で、天武天皇に仕えて財務管理などの重職を担い、天武六年(677)に死去したと伝えられる人物です。江戸時代初期、慶長十八年(1613)に崇道神社の裏山にある古墳で、鋳銅製の墓誌が発見され、ここが小野毛人の墓であることがわかりました。
古墳は大正13年に調査され、それによると石室は長さ2.5m、幅1m、高さ1mのようです。
墳墓は京都市内に残る数少ない古代史跡として京都市の指定史跡に、さらに発見された墓誌は国宝に指定され、国立京都博物館に保管されています。
せっかくだから、この墓を見ようと山の中腹まで登ることにしました。
しかし、道はわずかに整備されただけの岩や木の根に覆われた自然道で、140m登るというのは結構大変でした。(写真3、4)今日は楽しい散策のはず・・・それなのに・・・途中で少し後悔しながら登りました。なんとか登って行くと、ようやく古墳らしいものを発見。(写真5)
自然石が置かれて、表面に「小野毛人朝臣墓」と記されています。
しかし、ここからの見晴らしは素晴らしくて、登ってきた甲斐がありました。
(写真6、7)
次回はようやく蓮華寺。
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