京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

西陣・北野天満宮他

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本法寺

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本法寺は、西陣では数少ない観光寺院のひとつです。少し前に、西陣を歩いたことを書きましたが、ここにも寄ってみました。この寺は、元々、日親上人(1408―1488)が、永享八年(1436)に開いた日蓮宗のお寺で、東洞院綾小路にあったそうです。



日親上人は、当時の6代将軍足利義教に、国を治める方法を説いた意見書「立正治国論」を出して直言したのですが、これが将軍の怒りを買ってしまいます。
寺は焼却され、上人は捕らえられ、焼き鍋を頭に被せられるなど様々な拷問を受けますが、屈しなかったことから「鍋冠(なべかむり)上人」と人々に呼ばれ崇拝されたということです。

寛正元年(1460)、釈放された上人は、破却された寺を三条万里小路に移して再建。
しかし、寺は天文5年(1536)の天文法華の乱で再び焼失し、他の日蓮宗諸本山と同じく、堺に避難します。その後、京都での再建の許しを得て、一条堀川戻り橋(現材の晴明神社の地)に再建され、天正十五年(1587)豊臣秀吉が聚楽第を造営する際に、秀吉の土地寄進により広大な寺域を持つ大きな寺として現在の地に堂宇を構えます。
しかし、その後天明8年(1788)の大火により、経蔵や宝蔵を除いて焼失し、その後は少しずつ再建されて今日に至ります。





このお寺は、本阿弥光悦で知られる本阿弥家と関係が深いのですが、それにはこのような話があります。
日親上人が、将軍足利義教の迫害を受け投獄された際、本阿弥光悦の曽祖父、本阿弥清信は刀剣の鑑定や研磨を家業として、将軍に仕えていましたが、やはりこの疑い深い将軍の怒りに触れて投獄されてしまいます。2人はたまたま獄舎が同じで、親しみ語らう内に、清信は日蓮宗の教えに感動して上人に帰依することになります。
釈放後、本阿弥清信は剃髪し、本光という法名を授かり、有力な日蓮宗信者としてお寺をバックアップしていきます。こうして、歴代の本阿弥家は菩提寺でもあるお寺との関係を深め、天正十五年(1587)本阿弥光悦とその父光ニも、私財を投じてお寺の完成に努力したのでした。本法寺が今日あるのは本阿弥家のバックアップの力が大きいようです。






庭園は、「巴の庭」と呼ばれ、本阿弥光悦の作とも伝えられるものです。
室町時代の書院風枯山水の影響を残しながらも、桃山時代の雰囲気のある特徴ある庭で、東南の奥には滝石組が置かれ、書院の縁先に近い所には十角形に縁取られた蓮池があります。
その北には半円を2個組み合わせた円形石があり(半円を組み合わせているのが凝っています。)
デザイン的に現在でも斬新な素敵な意匠になっています。




私にとって、本法寺は初めての拝観だと思います。
観光寺院の少ない西陣付近としては、前に登場した宝鏡寺や妙蓮寺と共に最も注目したい場所でした。
この日は、庭を前に、またまた私一人の静かな時間を持てたわけですが、全体の印象としては、多宝塔が改修工事中だったので景観が少し良くなかったことと、長谷川等伯による仏涅槃図は素晴らしいのですが・・これを含め多数の重文指定の寺宝が複製ばかりなのが残念でした。
でも、前から注目していた、少し変った庭園が見られたのは良かったです。




尚、墓地には本阿弥一族の墓が十数基あり(写真では右側が光悦供養塔)、また長谷川等伯の墓が新調されています(写真)

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