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これまでも京都御苑内を色々取り上げてきましたが、少し追加してみます。
まず、「猿ケ辻」です。
邪悪な鬼が出入りする鬼門として忌み嫌われる東北方向。
今でも住宅建設などで気にされる方もいるように、昔は寺社や民家でも鬼門除けの風習が普通だったのでしょう。まして天皇のおられた御所です。
御所の東北角は、鬼が入り込めないように、築地壁が折れ曲がって作られています。
そして、屋根裏には一匹の猿の彫刻が彫られています。
「猿が辻」という名前は、ここからきたそうです。
このお猿は、この御所の鬼門を守る日吉山王神社(ひえさんのうじんじゃ)のお使いで、邪気が御所に迫ってくるのを防いでいるのです。
金網の中で少し見にくいのですが、写真を撮ってみます。
烏帽子を被り、白い御幣を担いだ姿なのですが、わかりますでしょうか?
猿が、金網の中にいるのには、訳が有ります。
この神様のお使いですが、結構いたずら好きで、夜になると辺りをうろついて、通りかかる人にいたずらをしたため、金網を張って閉じ込められたということです。
さて、この付近で暗殺事件が起こりました。
幕末の文久三年(1863)に、公家の中でも三条実美と共に、攘夷推進派の急先鋒だった姉小路公知がこの付近で暗殺されたのが「猿ケ辻の変」です。
現場に残されていた刀から、犯人は薩摩藩の「人斬り新兵衛」こと田中新兵衛とされ彼は捕らえられますが、取調べ中に自殺します。
田中新兵衛のような殺人のプロが現場に証拠を残すことは考え難く、真犯人はいまだに不明とされています。
もうひとつ史跡を・・「学習院跡」です。
明治までは京都御苑内は、公家の屋敷が立ち並んでいました。
孝明天皇は弘化四年(1847)に「学習院」という学習所を近くの空き地に作り、40歳以下の公家や御所に使える役人とその師弟に学問を教えることにしました。
ここでは、主に国学や歴史の教育が行われたようです。
現在、東京にある学習院という名前は、孝明天皇の跡を継いだ明治天皇が、父帝の京都での学習所を懐かしんで命名したものです。
この学習院跡のすぐ傍には、倒れたクロマツの木から幾つもの根を張るヤマザクラがあります。
松の木の空洞に自然とサマザクラの実が落ちて生えてきたもので、「桜松(サクラマツ)」、「松木の桜」と呼ばれて親しまれてきました。
クロマツが樹齢100年、サクラが樹齢40年ほどと推定されるもので、平成8年についにマツがサクラごと倒れてしまったのです。
それでも頑張って生えてきているサクラを多くの人が見守っているそうです。
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