京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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即成院(泉涌寺塔頭)

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前回、「二十五菩薩お練り供養法要」を取り上げましたが、この行事で知られる即成院について補足します。

即成院は、歴代皇室の菩提寺として日本唯一「御寺(みてら)」と呼ばれる泉涌寺の塔頭のひとつになります。泉涌寺は、その広大な敷地内に九ヶ寺の塔頭寺院を持っていて、毎年1月成人の日には、「泉涌寺七福神めぐり」大祭が行われています。
泉涌寺の七福神めぐりは、山内の塔頭を順番に回りお参りします。

1番福禄寿(即成院)
2番弁財天(戒光寺)
番外愛染明王(新善光寺)
3番恵比寿神(今熊野観音寺)
4番布袋尊(来迎院)
番外楊貴妃観音(泉涌寺)
5番大黒天(雲龍院)
6番毘沙門天(悲田院)
7番寿老人(法音院)を回ることになります。

ただ普段は、観光客は泉涌寺に集中して、他の塔頭寺院まで足を運ぶ方は少ないようです。
前回「二十五菩薩お練り供養法要」の時に書きましたが、即成院は、これら塔頭の中で最も注目したいお寺です。




さて、即成院は、平安時代の正暦三年(992)に恵心僧都(源信)が京都伏見に光明院というお寺を創建したのが始まりで、その後、寛治年間(1087〜94)に、関白藤原頼通の子で橘家を継いだ橘俊綱が、父頼通の造った平等院に倣って伏見桃山に広大な山荘を造営し、光明院を阿弥陀堂として山荘に移設します。これ以降、お寺は伏見寺、成就院と呼ばれていたようです。
その後、豊臣秀吉が文禄三年(1594)に伏見城を築城するため、伏見から深草大亀谷に移転を命じ、その後、ついに明治の廃佛毀釈で廃寺となりますが、明治三十五年(1902)に現在の地で再興され、即成院と呼ばれるようになったそうです。




このお寺お見所としては、重文に指定されている阿弥陀如来と二十五菩薩が一番ですが、源平時代の武将として知られる那須与一の墓といわれる巨大な供養塔があることでも知られています。
伝説によれば、那須与一は源義経に従い京都に入りますが、ある時病気に罹って療養中に、即成院の阿弥陀如来に出会い熱心に信仰するようになります。
その霊験で病気も治り、屋島の戦いでも、心の中で阿弥陀如来に願いをかけ見事に扇を射落としました。
阿弥陀の仏徳に感動した那須与一は、その後即成院に庵を結び、源平争いで戦死した将兵らの菩提を弔いながら、この地で死去したと伝わります。
こうして、今では、即成院は「与一さん」という通称で親しまれるお寺になっています。
那須与一にあやかろうと、体調万全や精神集中などの祈願のために集まった参拝者は、まず本堂の阿弥陀如来と二十五菩薩に祈願し、その後、さらに願いが「的を外さないように」、本堂の奥にある那須の与一の供養塔に参るのです。



これまで身近な信仰のお寺として親しまれてきた即成院ですが、阿弥陀如来と二十五菩薩の内陣が一般公開された今年からは、仏教美術などに興味のある観光客も増えることでしょう。

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私も25体の菩薩さんには驚きました。戒光寺と即成院さんはお気に入りになりました。また再度訪れてみたいです。

2007/1/19(金) 午後 11:43 ロビン

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25体の菩薩さんは、最近では一押しの穴場ですね。まだ行ってない人多いと思うので・・。

2007/1/20(土) 午前 1:05 [ hir**i1600 ]


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