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京都東山三条付近に、並河靖之七宝記念館があります。
ここは、明治・大正時代に七宝焼作家として活躍した並河靖之(1845ー1927)の旧邸で、伝統的な京町屋の建物そのものが記念館になっています。制作された七宝作品などの貴重なコレクションが、旧工房や旧窯場等と共に製作当時の環境の中で展示されているようです。
本当の目的は、庭園の見学だったのですが、今年最後の開館日に行って来ました。(来年の3月18日まで休館なのです。)作品が展示されている住居スペースや窯場等は撮影禁止ですが、庭園は撮影自由です。
並河靖之について少し・・
弘化二年(1845)に川越藩家臣の家に生まれた靖之は、青蓮院宮侍臣の並河家の養嗣子となり、家業を受け継ぎ青蓮宮(後の久邇宮朝彦親王)の侍臣となりました。明治維新前後から、中国七宝の模倣に着手し、ついに明治六年(1873)、第1号を完成。その後、日本の窯業界に影響を与えたドイツ人化学者ワグネルや、富岡鉄斎ら文人との交流などにより繊細で独特の作品を生み出し、国内外で受賞を重ね、最高の名誉である帝室技芸員に任命された人物です。
並河邸は、明治二十七年(1894)の建造で、表屋を含む主屋と、旧工房・旧窯場で構成されています。(いずれも国の登録有形文化財及び京都市指定歴史的意匠建造物です。)外観は京都の伝統的な商家の構えをしていますが、背後に2階建ての母屋が連なっているのが特徴になっています。京町家と書院造というふたつの様式が併存する珍しい形式で、欄間や障子、欄干などに青蓮院や修学院離宮の「写し」もあり、青蓮院宮に仕えた靖之の趣向が反映されたものになっています。
また、外国からの訪問客が多かったため、鴨居の高さも6尺(約2m)と高めに設定され、和室に椅子とテーブルが設置されたモダンな応接室には、当時珍しかった輸入品のガラス障子が用いられて開放的な空間を形づくっています。旧工房や旧窯場は、一時居住空間となっていましたが、当時の写真を元に復元されています。
庭園は、京都市の名勝指定を受けている名庭です。
作庭は、近代造園の先駆者、7代目小川治兵衛(屋号は植治。1860ー1933)で、建物と同様、明治二十七年(1894)に完成しました。
植治が自身の様式を確立したと言われる平安神宮神苑(明治二十八年)、山県有朋の無隣庵庭園(明治二十九年)に先駆ける貴重な庭園となっています。表玄関の通り庭や坪庭、池を中心とする平庭で構成されていて、伝統的な庭の様式が全て組み込まれた密度の濃い庭園になっています。
植治の庭園の最大の特徴は、琵琶湖疎水の水を取り入れた躍動的な水の流れのデザインといわれますが、この庭園は、明治二十三年(1890)に竣工した琵琶湖疎水の水が個人庭園に引かれた、最初の例でした。縁側下まで池が広がる庭園は、智積院などしか思い浮かばない感じです。
また、庭内には全国各地の名石とされた庭石が多数用いられていて、ここには植治というより並河靖之の趣味が多分に入り込んでいるようです。一番、目を引くのは大きな一文字の鞍馬石の手水鉢と巨大な2つの沓脱石です。この沓脱石は、元は膳所城の櫓の葛石として用いられていたということです。(写真)
七宝焼に関しては、あまり関心が無かったのですが、好きな方には喜ばれる場所かもしれません。並河旧家は、伝統的な京町屋がそのまま残されていて、町屋に興味のある方にお勧め・・そしてもちろん、京都の庭園に興味のある方は一度は見ておきたい庭園だと思います。(京都市指定の名勝庭園は、公開されているものが少ないので、その意味でも貴重な庭園です。)
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始めまして! 七宝を志して30年になります。並河様の御作品には「ヒレフ」する思いでおります。いくつか作品を[生」で見せて戴きましたが、京の町谷でいつの日か,拝見させて頂きたいと憧れております。町やそのものにも憧れています。ふつつかな私の七宝も見て頂ければ有難いです。宜しくお願いいたします。
url:http://www.geocities.jp/siltupou_watanabe/
2009/2/28(土) 午後 5:16 [ わた辺きょうこ ]
ご訪問ありがとうございます。並河靖之七宝記念館では、七宝の魅力を感じさせてもらいました。これから訪問して、製作されている七宝を拝見させていただきます。
2009/4/8(水) 午前 6:33 [ hir**i1600 ]