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今回は、東福寺の方丈庭園です。
禅宗寺院の方丈には、多くの優れた庭園が保存されてきましたが、方丈四方を囲む庭園があるのは、東福寺だけということです。
東福寺の方丈庭園は、釈迦の生涯に起きた8つの出来事を示す「八相成道」に因んで、別名「八相庭」とも呼ばれています。南庭(前庭)は、逢来(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛洲(えいじゅう)、壷梁(こりょう)の四仙島と八海、五山を表現しています。西庭が井田市松(北庭は小市松)、東庭が北斗七星を表現しているといわれます。
庭園の作者は、重森三玲(しげもりみれい、1896−1975)で、昭和十四年(1939)制作の作庭家としてのデビュー作になります。東福寺が鎌倉時代の創建ということで、鎌倉時代の庭園の風格を基本とし、これに現代芸術の抽象的構成をとり入れて表現したものということです。
当時、日本全国の庭園を調査していいた庭園研究家の重森三玲は、東福寺の境内調査を手がけていた時、寺の造園計画が持ちあがり、ボランティアで庭づくりを引き受けることになります。
彼はそれまで自身で作庭した経験はほとんど無かったのですが、全国の実測調査の結果、「江戸中期以降の庭園は芸術性が落ちている。そして、現在は将来に誇れるような庭が造られていない。」と痛感していました。この全国の庭園調査の実績と、元画家を目指していた芸術家としての発想でこの仕事に取り組んだのでした。(重森は、フランスの画家ミレーに憧れ「三玲」と改名した程の芸術家志向だったのです。)
一番中心となる方丈南庭(前庭)は、白砂の広がる「八海」の中に、巨石の長石で、「逢来(ほうらい)」、「方丈(ほうじょう)」、「瀛洲(えいじゅう)」、「壷梁(こりょう)」の四仙島を表現しています。荒海の砂紋の中に迫力ある石が配置されていて躍動感あるものになっていますが、重森三玲は、この巨石を探すのに、中々見つからず苦労をしたようです。
右方(西部)には「五山」が築山として表現され、苔と砂紋が大胆に斜線で区切られているのが特徴になっています。
西庭は、さつきの刈込と砂地によるもので、刈込を大きく市松模様に図案化しています。
田畑を井田の形に作る井田(せいでん)の抽象表現が意図されていて、さつきを用いる事で季節毎の色彩効果も狙っているようです。
廃物も無駄にしないという禅宗の精神から、重森は残りの2つの庭を造りました。
北庭(方丈裏)は、作庭以前に南の御下賜門内にあった敷石を利用しました。これを細かい市松模様として幾何学的に配置します。この斬新な手法はモンドリアンの絵画に先駆けるともいわれたようです。この北庭は通天橋の美しい楓が見える場所で、また南庭が石庭なので、それと対照的な庭として意図されたものでした。
東庭も、廃材を利用した庭です。もと東司(重要文化財旧便所)の柱石の余材を利用したもので、北斗七星を表す抽象的構成として表現されています。
東福寺の方丈庭園、特に市松模様は、今でも斬新な感じがします。
この方丈庭園は、近代の禅宗庭園として世界各国に紹介されていて、「“ZEN”スタイル」などと海外のミニマルスタイル系の本にも登場しています。好き嫌いはある庭だと思いますが、海外に禅のイメージを広めた功績はあるのかもしれません。
私も、どちらかといえば伝統的な庭園しか関心が無かったのですが、少しずつですが、新しい庭にも興味が出てきました。この斬新なデビュー作の後、重森は、その後国内に約200の庭園を造る昭和を代表する作庭家になっていきます。
先日、この重森三玲の旧宅を訪問しましたので、その様子を次回にご報告します。
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こんばんわ!素敵な庭園ですね〜♪言われて見れば確かに現代っぽい感じもしますね☆市松模様がとてもカワイイです(´▽`)♪♪
2006/12/13(水) 午後 8:09 [ aya ]
oneandayaさん、これが出来た当時は、かなり斬新だったんでしょうね。後世に残る庭を造ろうという作者の意気込みが少し感じられる気がします。重森のデビュー作ですが、やはり代表作ですね。
2006/12/13(水) 午後 8:31 [ hir**i1600 ]
いいですね。すばらしい庭園じっくりみたいですね。 冬は人も少なくていいかも?市松模様はすきです。
2006/12/14(木) 午前 4:49 [ sak*ra8**kik*777 ]
こういった石庭は、季節にあまり関係ないので、これからの季節からでも良いかもしれませんね。
2006/12/14(木) 午後 6:07 [ hir**i1600 ]