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西京区嵐山の中腹にある法輪寺は、正式には虚空蔵法輪寺。本尊に虚空蔵菩薩を祀り、「嵯峨の虚空蔵(こくぞう)さん」として親しまれているお寺です。
虚空蔵菩薩は、知恵や技芸上達の神様ということで、京都の子供は必ず数え年13歳で、ここの虚空蔵さんから知恵を授けてもらうのが習慣になっています。(「十三参り」)
私も親に連れられてお参りした記憶があるのですが、お参り後は、渡月橋を渡るまで後ろ振り返ってはいけない、振り返るとせっかく授かった知恵を落としていくと言われていて、子供ながらに少し緊張したことを覚えています。
この地には、古墳時代に既に、葛野井宮と(かづのいぐう)という社があったとも伝えられますが、渡来系の秦氏が居住し、土地を開墾し、養蚕や酒造等の技術をもたらした地域としても知られます。奈良時代の和銅六年(713)元明天皇の勅願で、行基菩薩がこの地に葛井寺(かづのいでら)を創建したのが、法輪寺の起源で、その後は古義真言宗の寺院、歴代天皇の勅願所として栄えました。
天長六年(829)、弘法大師空海の高弟、道昌(どうしょう)僧正が、この地で修行し、弘法大師修行の遺跡である境内の葛井(かどのい)に姿を現した虚空蔵菩薩を自ら彫って本尊としたと言われ、その後、貞観十年(868)、寺号を法輪寺と改めて堂宇を広げ、同十六年(874)には荘厳な伽藍が完成されました。また、天慶年間(938〜47)には、空也上人が堂塔を修造したということです。
応仁の乱で災禍を受けますが、慶長二年(1597)に後陽成天皇の勅旨により、加賀前田家の援助で再建を開始し、同十一年(1607)に全山再建されますが、幕末の元治元年(1864)蛤御門の変の際、長州藩軍が天龍寺に集結し、この戦闘で法輪寺も全山焼失。その後、明治十七年(1884)から大正三年(1914)にかけて再建完成したのが現在の建物になります。
本尊の虚空蔵菩薩は、奥州の柳井津、伊勢の朝熊とともに「日本三大虚空蔵」といわれ、今昔物語・枕草子・平家物語などに記述された有名な仏様です。その他、収蔵庫には鎌倉時代の持国天と多聞天(重文指定)が安置されています。
また法輪寺は、「針供養」のお寺としても知られます。「針供養」は、皇室で使用された針を供養したことから始まったといわれ、法要の際、こんにゃくに針を刺すのは、日頃の疲れをとって休んでもらおうということです。(尚、京都では、前にブログに登場した岩倉の針神社も針供養で知られます。)
境内にはこの針供養塔の他にも人形供養の人形塚や、電気・電波を守護する鎮守社「電電宮」が祭祀されています。
「電電宮」というのは珍しい神社なので少し・・・。法綸寺は、宇宙の自然現象を司る虚空蔵菩薩を祀るため、古くから境内に、菩薩の分身として、宇宙や自然に関連した神々を祀っていたのですが、特に雷や稲妻の神様「電電明神」は、現代的に解釈すると「電気・電波の神」ということで、幕末の騒乱で焼失した後に、昭和三十一年(1956)、電気電波関係業界の発展を祈願するため「電電宮」として新たに奉祀されたものです。
法輪寺は、また見晴らしの良いお寺としても知られます。境内から京都市内を一望すると、東山の山並がはっきりと見えて、京都って意外と小さいという印象を持ちます。
観光的に見所が多いということではありませんが、法輪寺も嵐山のシンボルのひとつになっていますね。
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