京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

中京・下京

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新京極にある誓願寺は、現在小さなお寺ですが、浄土宗西山深草(せいざんふかくさ)派の総本山で、本尊阿弥陀如来を祀る歴史ある古寺です。
創建当初は、三論宗(南都六宗の一つ)の寺院だったようですが、第21代目住持の蔵俊僧都が法然上人に帰依して寺を法然上人に譲った後、浄土宗になったといわれています。その後、法然上人の高弟の證空上人の流れをくむ浄土宗西山深草派総本山となりました。





さて誓願寺は、飛鳥時代の天智天皇の時代(665頃、667とも)に、勅願寺として恵穏(えおん)僧都を開基として大和国(奈良)に創建されました。その後、長岡京、平安京への遷都に合わせて、山城国(京都府)乙訓郡から京都深草に移転、鎌倉時代初期に京都一条小川に移転したと伝わります。応仁の乱以降の戦乱で数度の焼失に遭いますが、天正十九年(1591)豊臣秀吉の京都市街地整備により現在地に移されました。
秀吉の寵愛を受けた側室、松の丸殿(京極龍子)が帰依したこともあり、この頃は境内に18の塔頭を持つ京都屈指の大寺院(境内6千5百坪)として栄えます。

しかし、江戸時代以降も、天明八年(1788)の「天明の大火」、弘化二年(1845)の火災、元治元年(1864)の禁門の変により焼失と再建を繰り返し、また明治5年の新京極通の開通により広大な境内を失います。
現在の鉄筋コンクリートの本堂は、昭和七年(1932)に焼失後、戦中戦後の混乱期を経てようやく昭和三十九年(1964)に建てられたものです。(誓願寺は創建以来10回もの焼失再建を繰り返しました)寺宝には絹本着色誓願寺縁起(国宝)や毘沙門天立像(重文)等があります。





誓願寺は、歴史上有名な人物との関わりも多く、清少納言や和泉式部が出家後に境内に庵を結んで往生したという伝説があります。(尚、和泉式部の墓と伝える宝篋印塔が誓願寺の近くの「誠心院」にあります。後日ブログに登場。)
特に和泉式部との関わりは、世阿弥作と伝えられている謡曲「誓願寺」により広く知られています。
謡曲「誓願寺」では和泉式部と一遍上人が誓願寺の縁起と霊験を語るという話で、和泉式部が歌舞の菩薩となって登場することから、舞踊家を始め広く芸能の世界の人々の信仰を集めるようになりました。

こうして境内にある「扇塚」に芸道上達を祈願して扇子を奉納するという風習が生まれたようです。また、扇(扇子)と言えば落語でも必需品ですが、慶長十八年(1618)に誓願寺第55世となった策伝(さくでん)上人は「落語の開祖」と呼ばれています。策伝上人は、笑い話が得意で説教にも笑いを取り入れ、笑話集「醒睡笑(せいすいしょう)」著したのでした。こちらの繋がりでも誓願寺と扇との関係は深いということになります。
他に歴史上の人物では、誓願寺の復興に尽くした秀吉の側室、松の丸殿(京極龍子)と豊臣秀頼の遺児で、大阪の陣後に8歳で処刑された国松の墓が境内にありましたが、明治時代に豊国廟境内に移されています。





現在の誓願寺は小さなお寺ですが、新西国三十三ヶ所、京洛六阿弥陀などの巡礼地でもあり、広く親しまれているようです。
創建以来10度もの焼失の度に復興され存続してきた不死鳥のようなお寺ですが、いつの時代にも多くの人々の篤い信仰を得ていたから復活出来たのでしょう。これまで第一印象的に、それ程関心が無かったお寺ですが、霊験豊かなありがたいお寺なのかもしれませんね。

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