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京極通にある誠心院(じょうしんいん)は、真言宗泉涌寺派に属する寺院で、通称「和泉式部(寺)」とも呼ばれているそうです。
和泉式部は、平安時代の才色兼備の女流歌人として有名ですが、小野小町と並んで伝説も多く、それに基づく史跡も多いように感じます。昨年にブログに書いた東北院、誓願寺でも登場したことを思い出します。
誠心院は、寺伝に拠れば、藤原道長が、娘の上東門院(藤原彰子)に仕えていた和泉式部に法成寺東北院内に一庵を与えたのが起こりと言われ、晩年の和泉式部は初代の住職として往生します。当初は御所の東側に在りましたが、その後、一条小川(現上京区)に再建され、更に天正年間(1573〜1591)に豊臣秀吉が誓願寺と共に現在の場所に移したと伝わります。
和泉式部は、娘で歌人の小式部内侍に先立たれた悲しみから、この世のはかなさを思って往生しようと決意します。当時は女性の往生は出来ないとされていましたが、誓願寺の本尊、阿弥陀如来に四十九日間篭って必死に願いました。すると、阿弥陀様から、六字名号(南無阿弥陀仏)を一心に唱えれば極楽浄土へ往生できるというお告げを受ける事が出来たのでした。
以来、出家して南無阿弥陀仏を唱える日々を過ごし、ついに阿弥陀仏と二十五菩薩の迎えを受けて無事往生出来たと言うことです。その後、南無阿弥陀仏を一心に唱えると、女性であっても、和泉式部が二十五菩薩と共に迎えに来るという話が謡曲「誓願寺」にもなり広く知られるようになりました。境内には、この和泉式部の墓と伝えられる宝篋印塔があります。現在の塔は、正和二年(1313)に改修建立されたもので、高さ高さ約4m、幅約2.4mあります。
本堂は小御堂と呼ばれ、本尊の阿弥陀如来をはじめ、和泉式部、藤原道長の像を安置しています。また、境内に、和泉式部の碑をはじめ、「二十五菩薩」「式部千願観音」「神変大菩薩」「六地蔵尊」の石像、和泉式部が生前に愛した「軒端の梅」を偲んで植えられた梅ノ木などがあります。
江戸時代の名所図絵には、和泉式部の供養塔や端の梅を多くの人が参拝した様子が描かれているそうで、誠心院は京都観光の人気スポットだったのかもしれません。その後火災に遭うなどしたようで荒れた時期があったようですが、平成十三年(2001)に新京極通にもう一つ入口が設けられ、すぐ供養塔に参拝できることになったため、和泉式部の供養塔に手を合わせる人も増えてきたようです。小さな史跡ですが、新京極の繁華街の中の憩いの場所のような感じですね。
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