京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

滋賀県のお勧め名所

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滋賀県の史跡が、まだ幾つかありますので更新していきます。


「関寺の牛塔」を訪ねた後、山を下って南西にある「関蝉丸神社」に寄ってみました。
関蝉丸神社は、京阪電車の上栄町駅からすぐ、京都から国道1号線と分かれて浜大津に抜ける161号線沿いにあります。蝉丸神社は、逢坂山山裾の国道沿いにかけて、下社(しもしゃ)、上社(かみしゃ)、分社(中社とも)があるそうですが、普通、蝉丸神社といえば下社の関蝉丸神社のことを言うようです。
この周辺は国道161号と京阪電車が平走していて、道路や線路を渡らないと境内に入れない寺社が幾つかあり、関蝉丸神社も参道を京阪電車の線路が横切っています。踏み切りに注意して参拝しました。(写真)




蝉丸神社は、社伝によると、弘仁十三年(822)嵯峨天皇の時代に、逢坂の関の守護神・道祖神として逢坂山の山上・山下の二箇所、上社に猿田彦命(さるたひこのみこと)、下社に豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を分祀したのが始まりと言われます。
琵琶の名手・蝉丸を上社・下社に合祀した年代は不明ですが(円融天皇の時代とも)、合祀以降は、音曲芸道の祖神として広く信仰されることになります。冷泉天皇(967〜969)の頃、日本国中の音曲諸芸道の神と崇敬され、諸芸道の関係者は、必ず蝉丸神社の免許を受けることとされていたとも伝わります。 今も音楽やその他芸事の上達を祈願する方がお参りされるようです。




蝉丸は、盲目でしたが、琵琶の名手として知られ、百人一首の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」という和歌で有名な人物です。
その生涯、経歴は不明で、「後撰集」によれば、逢坂の関の付近に住んでいた隠者、「今昔物語」によれば、宇多法皇の皇子・敦実親王に仕える雑色としています。神社の境内には謡曲「蝉丸」に関する立て札があります。
謡曲「蝉丸」は、今昔物語を出典とした作品で、以下のような内容です。
延喜帝(えんぎてい)の第4皇子だった蝉丸の宮は、前世の罪業のためか、幼少時から盲目でした。帝は侍臣に命じて蝉丸を僧形にして逢坂山に捨てました。蝉丸は、この世で前世の業を償うことが未来への助けになると、孤独な身を琵琶を引くことで慰めていました。一方、蝉丸の姉である皇女、逆髪(さかがみ)の宮も、前世の業が深く、狂女となり遠くまで徘徊して逢坂山まで来てしまいます。偶然美しい琵琶の音を聞いてやってきた逆髪は弟蝉丸と再会。2人はお互いの定め無き運命を、宿縁の因果と嘆き合いつつも、姉逆髪は心を残しながら別れていくというストーリーです。




他にも、境内には、紀貫之が「逢坂の関の清水にかげ見えて今やひくらん望月の駒」と和歌に詠んだ「せきのしみづ(関の清水)」跡と石碑があります。(写真)
本殿の横には「時雨燈籠」と呼ばれる六角形の重厚な石灯籠があり、重要文化財に指定されています。
六角形の基礎部分は単弁の蓮華座を堀り、中台に花入単弁蓮華が、そして六角形火袋は簡素で火口を一箇所と小さな丸窓を設けています。最上部の宝珠と請花は後の時代のもののようですが、傘も薄く古式を留め、鎌倉時代の特色を持った貴重な石灯籠(蝉丸型と呼ばれる形式)のようです。
また、本殿裏の山道の入ロに、小野小町塚があるようです。



関蝉丸神社は、割と有名な史跡なので、もう少し大きい神社を想像していましたが、以外に小さくて寂しい感じがしました。今回は下社の関蝉丸神社だけ訪ねましたが、機会があれば、上社、分社も見てみたいと思います・・と言っても数年後かな・・。


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