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中京区新京極通四条上るにある錦天満宮は、小さいですがキラッと光る史跡です。
お土産物屋さんの並ぶ新京極通と、「京の台所」と言われる錦市場のある錦小路通が交差する所にあり、いつも活気があって「錦の天神さん」と呼ばれて親しまれています。
錦天満宮の創建ですが・・・
平安時代に菅原道真の父・菅原是善の屋敷跡「菅原院」には、道真の死後、菅原父子を祀った小祠が建てられました。その後、長保年間(999〜1004)に、この菅原院の建物は、源融邸宅跡・六条河原院に移築され「歓喜寺」が創建されます。(この時「菅原院」の旧地に、神社のみが残されました。これが、京都御苑の横にある菅原院天満宮・・になります。ブログ登場済)
一方、歓喜寺の境内には、付近にあった道真を祀る天神社を鎮守社として祀りますが、これが錦天満宮の始まりということです。
鎌倉時代の正安元年(1299)関白・九条忠教が、京都府八幡にあった時宗寺院・善導寺の聖戒上人に帰依し、上人に六条河原院跡地を寄進。こうして、善導寺は歓喜寺を合わせて、堂舎を造営し、河原院「歓喜光寺」と号しました。その後、天正十五年(1587)豊臣秀吉の都市計画により、寺院を寺の内と寺町に集めることになり、歓喜光寺も寺町錦小路東に移転します。一時は幕末の元治元年(1864)に兵火で焼失しますが間もなく再建されました。
明治五年(1872)神仏分離令により、歓喜光寺内にあった神社は独立することとなり、錦小路通に面していたため、錦天満宮という名称になります。
この時、歓喜光寺境内にあった末社の塩釜社(六条河原院の源融公を祀る)も錦天満宮境内に安置されました。尚、歓喜光寺は、明治四十年(1907)に東山五条に移設し法国寺と合併、昭和五十年(1975)に山科大宅の地に移転し現在に至ります。
現在、錦天満宮の境内には、末社の塩竈神社、日の出稲荷神社、白太夫神社、七社(八幡神社・床浦神社・市杵島神社・熊野神社・事比良神社・竈神社・恵美須神社)」など小さい社が寄せあって建ち、また京の名水「錦の水」も涌いています。
明治時代の新京極商店街の発展により、神社前の参道の鳥居が隣のビルにめり込むなど、非常に狭い境内になってはいますが、学問成就・商売繁盛を祈願する人々が後を絶ちません。
錦天満宮は、京都の繁華街にある唯一の神社でもあり、小さいですが京都らしい風景には無くてなならない存在かもしれませんね。
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ここで「なかよしお守り」なるものを買いましたよ^^
2007/1/17(水) 午後 9:44 [ ハニ ]
「なかよしお守り」調べました。ずっと仲良しの良い関係にあるようにピンクと水色のリボンを結んでいるお守りなんですね。小さなこの神社らしい可愛い感じですね。
2007/1/17(水) 午後 10:40 [ hir**i1600 ]