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京都市中京区の木屋町通二条の高瀬川沿いに「史跡・高瀬川一之船入(いちのふないり)」という石碑があり、高瀬川に酒樽を載せた一艘の船が浮かんでいます。
ここが、森鴎外の小説「高瀬舟」でも知られる高瀬川の起点になります。また周辺には、高瀬川を管理した角倉家の邸宅が数件立ち並んでいました。(現在、角倉氏邸跡碑、角倉了以別邸跡碑が残っています)
高瀬川の名称は、小型船「高瀬舟」に由来するといわれます。
この「高瀬舟」は、舟の全長約13m、幅2m。底は平底、船首が反った構造で、水深の浅い川の流れを切って進む事が出来ました。盛時には百数十艘が川を上下し大阪からの物資を運んでいたようです。
この高瀬舟の荷物の揚げ降ろしする船溜所を「船入」といい、最上流の「一之船入」から二条〜四条間に9ヶ所あったようですが、現在は「一之船入」しか残っていません。(二之船入跡や三之船入跡の石碑が残っています。)写真で、赤い柵の向こうに少し見える石組で囲まれた船着場のような場所・・・この「一之船入」は江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡として史跡に指定されています。
さて、高瀬川は、慶長十六年(1611)に、安土桃山・江戸初期の豪商・角倉了似とその子素庵が開いた運河です。
角倉家は元々医術を本業としていましたが、土倉(高利貸し・質屋)でも成功し富を蓄えます。そして、角倉了似自身も、豊臣秀吉の時代、朱印船貿易で安南国(ベトナム)との貿易などで成功しさらに莫大な富を得ました。その後、国内の河川開発にも乗り出し,慶長十一年(1606)年に保津川(大堰川)、翌十二年(1607)には富士川、天龍川などの水路開発を行います。
やがて、豊臣秀頼による方広寺の大殿再建のための資材運搬を命じられますが、運搬に鴨川を使用した結果、水位等の理由で問題があると判断し、新しい運河の開削を行います・・これが高瀬川の開削です。
こうして誕生した高瀬川ですが、全長約10km、川幅は平均約8m、二条大橋西畔から鴨川の水が引き入れられ、一之舟入付近を起点として、鴨川の西岸を通って十条まで南下し、さらに鴨川を横切って伏見港に通じていました。高瀬川の完成には、総工費七万五千両(現在の150億円相当)を要しましたが、これは全て角倉家の私財から支払われました。その代わりに角倉家は、高瀬川の通行料や物資輸送権を独占します。
江戸初期までの京都は、いまだ日本最大の都市でしたが、内陸部に位置していて海路交通の発展の恩恵は受けず、やがて「天下の台所」と呼ばれる程の経済発展を遂げる大阪方面からの物資は淀川を舟で運ばれ、一旦鳥羽で陸揚げしてから陸路市内へ運ばれていました。
しかし、高瀬川の完成により,伏見経由の水路で運ぶことが可能となり、経費面からも効率よく市内中心部へ物資を供給することが出来るようになりました。こうして高瀬川は、京都と大阪を以前より直接結び付け、江戸時代の京都の経済発展を支える基となりました。
角倉家は、高瀬川の開削に莫大な資金を使いましたが、大阪からの物資の流通が殆ど高瀬川経由になったため、使用手数量と独占権で10年もかからず十分元は取れたと言うことです。
(現在に例えると、高速道路を自前で建設して通行料金を取るようなものでしょうか。)
その後、高瀬川沿いの木屋町筋周辺には「木屋町」という町名の由来となった材木屋をはじめ多くの問屋が建ち並び、商人や職人による同業者町が形成されました。材木町、樵木町(こりきちょう)、石屋町、塩屋町、鍋屋町、紙屋町、米屋町など職種や商品を反映した町名が現在まで残っています。江戸末頃からは料理屋、旅館が増え歓楽街となって現在に至ります。
その後の高瀬川ですが、明治以降は、鉄道の開通などによって次第にその役割を失って、大正九年(1920)についに廃止されました。現在の高瀬川は、昭和初期の改修工事により、鴨川からの水の取り入れ口は地中化され見えません。また下流域は分断されて新高瀬川と呼ばれ、開削時とは違う流れになっています。
現在、高瀬川の木屋町周辺には、運河建設の功労者、角倉了似に関する史跡(角倉了似別邸跡碑、角倉氏邸跡碑、角倉了似翁顕彰碑)が点在しています。
また、高瀬川の存在が周囲に町を形成し、それにより幕末に多くの人物を引き寄せ、事件を生みだしたということも言えるかと思います。木屋町周辺の志士たちの碑がそれを物語っています。
島田左近遭難の地
大村益次郎寓居跡碑
桂小五郎・幾松寓居跡碑
佐久間象山・大村益次郎遭難の地碑
佐久間象山寓居跡
吉村寅太郎・武市端山寓居跡碑
佐久間・大村遭難の地案内碑
池田屋跡碑
坂本龍馬寓居跡碑
彦根藩邸跡碑
土佐藩邸跡碑
坂本龍馬、中岡慎太郎遭難の地碑
本間精一郎遭難の地碑
中岡慎太郎寓居跡碑
古高俊太郎邸跡碑
幕末の志士達も高瀬川の流れを眺めていたのでしょう。
現在、お世辞にも情緒があるとは言えない歓楽街の木屋町付近ですが、日の光に輝く高瀬川のせせらぎと、その両側に植えられた柳や桜のおかげで、京都らしい風情を感じさせてくれているようです。
桜の季節が待ち遠しいですね。
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こんにちわ
毎年9月23日高瀬川祭り
高瀬川一之船入り所にて。高齢の方からお子さんまで楽しいです
2009/12/4(金) 午後 4:20 [ 中路正樹 ]