京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

滋賀県のお勧め名所

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慈眼堂

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滋賀院門跡から少し石段を登ると慈眼堂があります。

慈眼堂は、信長の焼き討ちにより焼失した延暦寺の復興に尽力し、家康・秀忠・家光三代の将軍に仕えた、天台宗の慈眼大師南光坊天海大僧正を祀る廟所です。慈眼堂という名称は、天海の死後、慶安元年(1648)に後光明天皇から慈眼大師の諡号を賜ったことに由来しています。

天海大僧正は、生年も諸説あり前半生には不明な点も多いですが、後半生の活躍は良く知られています。家康以降の徳川将軍の篤い信頼を得て、政治及び宗教顧問として、徳川幕府の確立にも力を尽くしました。特に「東照大権現」という家康の神号を定め、比叡山延暦寺の再建、川越大師(喜多院)の復興、日光東照宮の建設と輪王寺の復興、東叡山寛永寺の創建等を行い、仏教の中心地を京都から関東へ移行させた点は、幕末まで大きな影響を与える事になりました。(そういう訳で、天海縁のこれらの寺院にも慈眼堂があります。)





さて、慈眼堂は、寛永二十年(1643)の天海の死後、家光の命によって建設されました。
(完成は正保三年(1646)とも考えられているようです。)廟内に祀られている木造慈眼大師坐文像は重要文化財に指定されています。
正面の門から苔の中を石畳が続き、両側には石灯籠が立ち並んでいます。慈眼堂は基壇の上に建っていて、屋根は四角い宝形造(ほうぎょうつくり)の瓦葺です。
また堂の西側は高台になっていて、多数の石塔や石仏が立ち並んでいます。
桓武天皇、後陽成天皇、後水尾天皇、徳川家康、紫式部、和泉式部、清少納言、新田義貞らの供養塔、江戸期以降の天台座主の墓になります。特に天皇や家康の巨大な供養塔には圧倒されます。

さらにもう一段高い場所に室町時代の十三体の石造阿弥陀如来座像が並んでいます。
これらの石仏は、室町時代後期に、南近江を治める観音寺城城主の六角義賢(承禎)が亡き母の菩提を弔うため、観音寺から見て丁度対岸にあたる、母の郷里、滋賀県高島郡鵜川に建立した「鵜川四十八体石仏」の中の一部です。慈眼堂にある13体は、江戸初期に、天海大僧正が移したとも伝わります。石仏は各々大きさや表情が違っていて見飽きない魅力があります。
尚、「鵜川四十八体石仏」は、 現在、高嶋郡の鵜川に33体、この坂本の慈眼堂に13体が安置されており、残り2体は行方不明だそうです。この鵜川という場所は、JR湖西線「近江高島駅」付近(琵琶湖西岸の国道161号線を北上し、白髭浜水泳場付近で山側へ北進した場所)にあり、私も一度は見に行きたいと思っています。



慈眼堂も、前に来た時は延暦寺の帰り道で慌しく眺めただけでしたが、今回はじっくり見ることが出来て、特に供養塔と石仏の魅力を堪能した気がします。秋の紅葉時に石仏を撮影に来られる方が多いのも納得できますね。
前に「関寺の牛塔」の時にも書いたように「石の文化」を感じさせてくれるお勧め史跡です。


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