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また「第41回 京の冬の旅」から、妙心寺の塔頭・龍泉菴です。
このお寺も初めてです。
龍泉菴は、文明十三年(1481)、景川宗隆(けいせんそうりゅう・本如実性)禅師が、師の妙心寺九世雪江宗深(せっこうそうしん)禅師から妙心寺山内の敷地十五丈四方の地を与えられて一庵を営んだのにはじまります。
また一説には、景川宗隆禅師の法嗣(はっす=後継者)、景堂玄訥(けいどうげんたつ)禅師の時代に、微笑(みしょう)庵(開山堂)の建物を移して創建したとも言われ、寺観は、この時に整えられたと考えられています。尚、開基(外護者)は応仁の乱で知られる細川勝元の子の政元になります。妙心寺の46ある塔頭寺院の中でも由緒ある古い塔頭の一つで、妙心寺四派のひとつです。
妙心寺四派というのは、室町時代の妙心寺が生んだ四傑と言われる優れた人物、景川宗隆(けいせんそうりゅう・龍泉派祖)禅師、悟渓宗頓(ごけいそうとん・東海派祖)禅師、特芳禅傑(とくほうぜんけつ・霊雲派祖)禅師、東陽英朝(とうようえいちょう・聖澤派祖)禅師から生まれた四つの派で、彼らを育成した師匠の雪江宗深(せっこうそうしん)禅師は、文明九年(1477)に応仁の乱で焼失した妙心寺を再興した人物です。そして弟子の景川宗隆、悟渓宗頓、特芳禅傑、東陽英朝禅師の4人は四派の祖として、妙心寺の住持を1期3年で順次交代し、妙心寺住持の制度化が始まりました。
以上のように龍泉派の本庵として権威のある龍泉菴ですが、江戸時代前期の嶺南崇六(れいなんすうろく)禅師は近世の中興の祖と呼ばれて最も活躍した人物として知られます。また、龍泉菴は建物も大きく、特に方丈は、妙心寺山内塔頭の方丈としては最大の大きさを持っています。
現在の建物は江戸前期の再建で、書院は承応二年(1653)、表門は寛文四年(1664)、庫裏(くり)は寛政八年(1796)、そして妙心寺塔頭で最大の方丈は、嘉永元年(1848)の建立になり、全て京都府指定文化財となっています。(尚、方丈の屋根は、元は柿葺きですが、昭和に銅板葺き、現在は、酸性雨対策から、チタン製になっています。)
さて、このお寺はどこでも写真撮影自由です。どうぞ自由に撮って下さいと説明を受けました。
虎、鯉の滝登りが描かれた杉戸絵などを眺めて、一番の見所の方丈の襖絵を鑑賞します。
この広大な方丈の72枚(全104面)の襖絵は、平成十一年(1999)、開祖景川宗隆の死後500年という、「五百年遠諱(おんき)」にあわせて、堂本印象に師事した日本画家・由里本出(ゆりもといづる)氏により描かれたもので、日本の海や山といった自然をテーマに西洋画の技法を取り入れた作風で描かれています。
まず、大玄関前の部屋に竜の襖絵が描かれています。禅宗寺院には付き物の龍図ですが水墨画でないのは珍しいようです。方丈の最初は「霊峰四季之間」で、山をテーマに阿蘇山、石槌山、磐梯山、大雪山が描かれています。隣の「種々東漸之間」は越前海岸を、さらに「水到渠成之間」には水をテーマに釧路湿原、野付風蓮、層雲峡が描かれています。
方丈の北側には、「樹下寂静之間」に沙羅双樹・・この絵は数年前に「京都冬の旅」のポスターにもなったそうです。また「黎明開悟之間」には菩提樹が描かれています。また床の間や違い棚のある書院も落ち着いた雰囲気です。
龍泉菴の寺宝として長谷川等伯筆「枯木猿猴図(こぼくえんこうず)」があります。
重要文化財に指定されている非常に有名な作品ですが、実物は京都国立博物館に寄託されているため、レプリカが展示されています。この掛け軸、元々加賀藩主・前田利長の所有の屏風だったのですが、ある夜絵から1匹の猿が抜け出て、寝ている利長の髪の毛を掴もうとしたので、利長が腕を切り落してしまったという伝説があるということです。
最後に、方丈庭園は枯山水のシンプルな庭です。特に由緒有るものではなく、作庭当初は赤松の木と楓があったのみだったようです。中央の石組は、元は檀家の方の家にあり、阪神淡路大震災で倒壊したものが置かれています。
小さな塔頭寺院が多い中で、龍泉菴の方丈は広くて大寺院に来た様な風格があります。襖絵は新しく、庭園も有名なものでは無いですが、広い空間にはマッチしているように感じます。他の古風な塔頭を見た後だけに気分転換にもなりました。
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龍泉菴は訪れました。ガイドさんの説明を聞いていたから30分はいたような。でも説明してくれるので興味も湧きますね。
2007/1/29(月) 午後 9:31
私も、現代障壁画がほとんどなので、あまり期待していなかったのですが、広くて寛いだ気分で見られました。
2007/1/29(月) 午後 10:30 [ hir**i1600 ]