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また「第41回 京の冬の旅」から、妙心寺の塔頭・玉鳳院です。
今回、「京の冬の旅」で公開されている妙心寺の塔頭三ヶ所の中では、最も重要で必見の場所です。
全国に3500もの末寺を持つ臨済宗妙心寺派の大本山妙心寺、その最も由緒ある聖地が塔頭・玉鳳院と開山堂だからです。
南北朝時代初期、当時の花園法皇は、禅の師として大徳寺開祖・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)禅師に深く帰依していました。しかし、建武四年(1337)、宗峰妙超が病気に伏して重態となり、花園法皇の求めに応じて、自身の代わりに弟子の関山慧玄(かんざんえげん・無相大師)を推挙しました。そして、花園法皇が、この地にあった花園離宮を禅寺として、正法山妙心寺と命名しました・・・これが妙心寺の創建で、妙心寺では、この建武四年を開創の年とし、妙超の遺命を受けた関山慧玄を開山、花園法皇を開基としています。
花園法皇は、翌暦応元年(1338)に伽藍の側に一院を建てて関山慧玄禅師に参禅しました。これが玉鳳院(ぎょくほういん)になります。法皇縁の由緒ある建物として「玉鳳禅宮」とも呼ばれます。
玉鳳院の方丈は、妙心寺の開基・花園法皇の尊像を祀っています。寝殿造りの方丈には「玉鳳禅宮」の額が架かり、花園法皇の法体の木像が安置され、狩野派の狩野益信、永真の筆と伝える山水図、花鳥図などの襖絵で飾られています。創建時の建物は応仁の乱で焼失し、現在の建物は、江戸初期の明暦二年(1656)に再建されたもので、京都府の指定文化財になっています。
玉鳳院から渡り廊下で結ばれているのが、開山堂です。開山堂は、「微笑庵(みしょうあん)」とも呼ばれ、妙心寺の開山・関山慧玄禅師が祀られています。正平十五年(1360)の禅師の死により創建され、応仁の乱で焼失後、戦国時代の天文六年(1537)に東福寺の堂を移築したものと伝えられます。内部は礼堂と祠堂からなり、入母屋造の本瓦葺の建物で、江戸時代の建築が殆どの妙心寺山内では、室町時代の最古の建物で国の重要文化財に指定されています。
また、開山堂前には「妙心寺型」と称される特殊な形式の石灯籠があります。
また、開山堂前にある前門の四脚門(平唐門)は、室町時代の応永十六年(1409)に後小松天皇より御所の南門を賜って移築したもので、古くは三門前の勅使門に使われていましたが、現在の勅使門が江戸初期の慶長十五年(1610)に建造されたため現在地に移築されたと考えられています。
門の表には、応仁の乱のときに受けた弓矢の跡がくっきりと残っています。開山堂と並んで貴重な室町時代の建築です。こちらも国の重要文化財に指定されています。
玉鳳院と開山堂は、妙心寺山内の聖地として最も重んじられている場所なので、写真をもっと載せるため次回に続けます。
次回は、織田氏・武田氏の供養塔、秀吉の子鶴松霊屋などの登場です。
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