京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

中京・下京

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東寺(教王護国寺)の塔頭、観智院はこれまでも定期的に特別公開されています。
今まで後回しにしていたのですが、ようやく今回「京都の冬の旅」の機会に行って来ました。




観智院は、東寺境内の北に位置し、北大門を出ると右手にあるお寺です。
ここは東寺の勧学院(真言僧の学習施設)で、代々学僧が住持となり、東寺塔頭中最も格式が高く、観智院の住持は東寺の別当職を兼ねることになっていました。いわば東寺の「知の殿堂」のような場所で、別格本山になっています。

東寺は、創建時には国家鎮護の役割を持った寺院でした。(そのことは「教王護国寺」という名前からもわかります。ただし、歴史的には教王護国寺という名称はほとんど使用されていないようです)
そして平安時代中期には、密教の根本道場の性格を強めます。
その後戦乱などで一時衰退しますが、鎌倉時代に入ると、西院(御影堂)に弘法大師像が安置され、弘法大師への信仰が高まり、朝廷や武家から庶民に至るまで広く信仰を集めることになります。東寺の発展に最も寄与したのが、後白河法皇の皇女・宣陽門院で、東寺に莫大な荘園を寄進しました。
さらに、鎌倉時代の延慶元年(1308)、後宇多法皇が東寺に帰依して御影堂(西院)に3年間参籠し、21院の建立を目指しました。観智院もその内の一つとされています。






観智院の創建は、延文四年(1359)で、学僧だった杲宝(ごうほう)を開基とします。
この頃は、東寺の「三宝」といわれる頼宝(らいほう)、杲宝、賢宝(げんぽう)、さらに亮禅(りょうぜん)といった優れた学僧を輩出していた時代でした。
特に杲宝はこの時代の東寺最高の学僧で、観智院を創建し東寺教学の基礎を築いたと言われます。
杲宝や、その跡を継いだ二世賢宝は、膨大な経典類を南都北嶺から集め、またそれらを書写しました。これら経典類は1万5千点以上にものぼり、観智院東南隅の金剛蔵に納められていたことから観智院金剛聖教と名付けられ、重要文化財に指定されています。
(現在では、この観智院金剛聖教をはじめ、国宝・重要文化財に指定されている絵画・工芸品等の多くは東寺宝物館に収蔵されています。)
こうして、観智院は、江戸時代の慶長十四年(1609)には、徳川家康から、観智院を真言一宗の勧学院と定めるという黒印状(公文書。所謂、お墨付き)を与えられるほど、所蔵する密教経典の質と量では日本最高と言われるようになっていきます。






さて、観智院の建物は、客殿、本堂、書院、金剛蔵、宝蔵、勅使門等全て江戸時代の再建になります。
特に客殿は、文禄五年(1596)の京都伏見を中心とする大地震で倒壊した後、慶長十年(1605)に北政所が寄進し再建したものです。
入母屋造で、銅版葺に軒唐破風を付けた桃山時代らしい武家風書院造りで、桃山様式の書院造としては現存最後の建物ということです。上座の間には床と違棚があり、全体としてシンプルな印象で気に入りました。
徳川家の天下とはいえ、まだ豊臣家が残存していたためか、不審な者が侵入した時のために、音でわかるように鴬張りの縁を用いたり、隠れられないように「すのこ」状の濡れ縁などになっています。まだ戦乱の時代を感じさせる造り・・・こういった数少ない桃山時代らしい住宅建築なので国宝に指定されています(江戸時代の様式では重文でしょう。)

客殿の床の間には、宮本武蔵筆の水墨画「鷲の図」「竹林の図」があります。
「鷲の図」では、二羽の鷲が一つの獲物を狙っている迫力ある様子が描かれ、「竹林の図」では、緊張感ある竹の空間が描かれています。共にかなり痛みが激しいのですが、力強い筆さばきは感じられます。宮本武蔵は慶長九年(1604)の一乗寺下り松での吉岡兄弟との決闘の後、報復を避けるためにこの観智院に3年間匿われていたとされ、その時に描いたと伝わります。






客殿前の庭園は「五大の庭」と呼ばれています。
弘法大師空海が唐の長安から帰国の海上で難にあった時に、守護の海神に護られて無事帰国出来たという「弘法大師行状絵巻」に描かれている光景と、観智院の本尊・五大虚空蔵菩薩像の姿という2つのイメージに基づいて作庭された枯山水庭園で、もちろん近年の作庭になります。
右手の大きな築山は唐の長安・越州を表し、中央に遣唐船とこれを守護する竜神・神亀・鯱(しゃち)を小さな石組で表現し、左の築山は日本で無事帰還する様子を表しているということです。
また、左の築山の中央の五個の石は、観智院の本尊・五大虚空蔵菩薩像を表し、その前には礼拝石が配置されています。
(写真は、日差しが強かったため、調整してもコントラストが付き過ぎて見にくいですが・・)
また、客殿と本堂の間には、中庭の「四方正面の庭」があります。どこから見ても正面になるということで名付けられた小さな彼山水です。個人的にはこの四角い庭の方が好きかも知れません。(写真)

奥の仏殿には、有名な五大虚空蔵菩薩像と愛染明王像が祀られています。
本尊の五大虚空蔵菩薩像は、唐の長安にある青龍寺の本尊だったものを、承和十四年(847)に唐に渡った恵運(えうん 山科安祥寺の開山)僧都が請来したものです。観智院第二世賢宝(げんぽう)は、永和二年(1376)、観智院の本尊として、五大虚空蔵菩薩像を山科安祥寺から移して修理を行い、院内に虚空蔵堂を建立します。五大虚空蔵菩薩像はすらりとした晩唐期の作で、残念ながら何度か修復されているため、国宝では無く重要文化財に指定されています。
その横には江戸時代の愛染明王像があります。人々が持つ愛欲、貪染を浄菩提心に変える、即ち煩悩即菩提を象徴する明王で、今では縁結び、開運、子宝の本尊として信仰を集めています。

書院の襖絵は現代作家の浜田泰介画伯の「四季の図」で飾られていて、個在、客殿に4枚ずつ書院より順次移動させて拝観者に鑑賞出来る様にしているそうです。また客殿北側は茶室になっています。「楓泉観」という書院風の茶室は、本席と奥の席からなるもので静かな雰囲気が良いです。茶室から眺める庭も撮影しました。(写真)





観智院は、やはり一度は見ておきたいお勧め寺院という印象です。
客殿が落ち着いた造りで、五大虚空蔵菩薩像も必見でしょう。「五大の庭は」やや作為的で私の好みでは無いですが、「京都の冬の旅」に多い禅宗寺院のような厳しさは感じられず、寛いだ雰囲気で気持ち良く拝観できました。またいつか来たいと思います。

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