京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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平野神社

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北区平野宮本町にある平野神社は、京都屈指の桜の名所として知られています。
また、古くは伊勢神宮、賀茂(上賀茂・下鴨)神社、石清水八幡宮、松尾大社に次ぐ地位にあった由緒ある古社という点からも注目すべき神社です。



祭神は、今木皇大神(いまきのすめらおおかみ)、久度大神(くどおおがみ)、古開大神(ふるあきおおかみ)、比賣大神(ひめのおおかみ)の4神です。
非常に珍しい神でもあることから様々な説があるようです。特に、木今神(今木皇大神)は、百済系渡来人の和氏(やまとのふびと)が祀っていた百済の神様と考えられています。(今木とは今来のことで、渡来人の意味とされます。)また他の2神、久度神、古開神については竈(かまど)の神と思われ、平安遷都以降に元の平城京から移されたようですが、同様に百済系渡来人の和氏(やまとのふびと)と関わりのある奈良県の久度神社にも祀られていることから、これも百済系の神という説があります。
また同様に、今木神以下は歴代の百済王であるという説が、江戸時代の国学者・伴信友の著作「蕃神考」以降に流布しましたが、平野神社では完全な俗説と否定しています。また、中世に流行った仁徳天皇が祭神とした説も否定しています。他に江戸期の「和漢三才図会」には四神を日本武尊、仲哀天皇、仁徳天皇、天照大神としている記述もあるそうですが、これも俗説と思われます。とにかく諸説ある祭神ということになります。





以下では、渡来系の神という現在一般的な考え方に基づいて、神社の創建を書いてみます。
平野神社の創建は、奈良時代末の延暦元年(782)の「続日本紀」に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」と記されていて、平城京中にあった田村後宮に祀られていた事がわかります。
田村後宮は、桓武天皇の父・光仁天皇の御所でした。桓武天皇の母・高野新笠(たかののにいがさ)は百済系渡来氏族の和氏(やまとのふびと)の出身として知られますが、彼女が田村後宮に父祖伝来の今木神という百済系の神を祀っていたのが始まりのようです。
その後、長岡京、さらに延暦十三年(794)平安遷都と平安京遷都に伴い現在の地に移されたということです。高野新笠は遷都以前に亡くなりますが、子の桓武天皇は、皇太后ゆかりの今木神を引き継ぎ祀りました。久度神、古開神については平安遷都時に平城京から、また比賣神は承和年間(834〜47)に祀られたようです。

桓武天皇以下の歴代天皇は、平野の神を桓武朝の外戚神として特別の待遇を与えたようで、「日本三代実録」によると、祭神の位は急速に高められ、貞観六年(864)に、今木皇大神が正一位の位を授けられ、その他の神も高位に叙せられています。さらに「延喜式」によれば、全国で唯一の皇太子御親祭が定められ、祭日には皇太子以下の親王諸王大臣が参列することになっていました。
つまり平野神社は御所の外にありながら、宮中神と同様の扱いを受けていたようです。これに関連して、臣籍降下した皇族縁の氏族の繁栄を願って、宮中外に祀られたという説もあり、源氏・平氏はじめ高階・大江・中原・清原・菅原・秋篠各氏の氏神となっています。そして、皇城鎮護の神を定めた「二十二社」では、伊勢、賀茂(上賀茂・下鴨)、石清水、松尾に次ぐ五位に列せられました。その後、明治四年には官幣大社に列格しています。

神社の面積も当初、方八町余(平安尺で1.5km四方)あり、現在の京都御所とほぼ同じ面積を持つ壮大な神社でした。その後、時代と共に社域は縮小し、昭和九年(1934)の室戸台風後の修復工事や西大路通の開通により、敷地を割譲することとなり、大規模な整備事業が行われ昭和十八年(1943)に竣工しました。(現在の面積は200m弱四方ということです。)





さて、現在の本殿は、江戸時代の寛永年間の建物で、(南殿は寛永二年(1625)、北殿は同九年(1632))国の重要文化財に指定されています。「平野造り」又は「比翼春日造り」と呼ばれる構造で、四殿を二殿ずつ繋げた一体となった本殿が南北に建っています。また、拝殿は慶安三年(1650)に、東福門院(後水尾天皇中宮・徳川秀忠の娘)が寄進したもので、内部の三十六歌仙は寛文期に近衛基煕書、海北友雪が描いたものです。また、南門は慶安四年(1651)御所の旧門を下賜されたもので、昭和十八年に現在の大鳥居の位置から南門として移築されたものです。
その他、境内には縣社、春日社、住吉神社、蛭子神社、八幡神社の摂末社があり、参道には出世導引稲荷神社、猿田彦神社の二社が祀られています。

尚、最近、平野神社正面大鳥居が修復され、社号額は「平野大社」から「平野皇大神(ひらのすめおおかみ)」に変えられました。(写真1)
これは、従来の明治時代の旧官幣大社の神号を改め、平安時代のより由緒ある神号を復活したものです。(延喜式などで、伊勢皇大神などと同様の「平野皇大神、.平野皇大御神」と尊称されていた全国でも稀な格式高い神社だったことによります。)





最後に、平野神社と言えば、やはり桜です。平安時代の花山天皇が、境内に数千本の桜を植えたのを始まりとされ、江戸時代には「平野の夜桜」として桜の名所として全国に知られていたようです。
今も昼だけでなく夜桜見物に多くの方が集まる京都を代表する桜の名所になっています。約50種400本の桜が植えられていて、種類が多いため、様々な桜が順番に咲くので長い期間楽しめるようです。また、寛和元年(985)に花見の祭を催したことを起源とする「桜祭神幸祭」が毎年4月10日に行なわれています。

かっては天皇家との関係深かった平野神社も、今はどこか庶民的な雰囲気もする親しみやすい神社になっています。桜の頃に行くのと、違う季節に行くのでは印象が違う程、桜効果が大きい神社ですが、桜のピークには屋台が並び多くの人が集まるので、静かに鑑賞するにはやはり早朝が良いようです。

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閉じる コメント(4)

平野神社。何度か聞いたことがあります。桜の時期に一度訪れてみたいものです。

2007/2/12(月) 午前 1:05 ロビン

最近は温暖化のため、桜の開花がずれたりしますね。昨年は4月1週目にはもう終わりかけていたようで、ほとんどゆっくり見られませんでした。今年はもう少し早めにチェックします。

2007/2/12(月) 午前 1:13 [ hir**i1600 ]

学生のころから、毎年必ず花見に行きます。親しんだ神社なのですが、そんな由緒のある神社だとは知りませんでした・・

2007/2/13(火) 午後 7:38 [ gdcsj705 ]

今の平野神社からは、そんなに由緒ある神社とはわかりませんね。他の神社で重んじられていたのは、京都市内では、上賀茂・下鴨、松尾、伏見稲荷、八坂、北野天満宮、大原野、梅宮、吉田、貴船ですが、多くは今とは規模が違っていたのでしょうね。

2007/2/13(火) 午後 8:17 [ hir**i1600 ]


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