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羅城門に続いて、南区唐橋から少しだけ追加します。
羅城門跡のすぐ南側にあるのが、矢取地蔵です。
見過ごすような小さなお堂の中に地蔵菩薩が祀られていますが、この地蔵菩薩には、有名な逸話があります。平安時代初期、淳和天皇の時代の天長元年(824)に日照りが続いて農耕用水も枯れてしまいます。天皇は大いに憂い、神泉苑で、西寺の守敏(しゅびん)と東寺の空海に雨乞いを命じました。これが有名な「雨乞い合戦」といわれるもので、結局、空海が雨を降らす事に成功します。(神泉苑、西寺跡でも登場したエピソードです。)
一方、敗れた守敏は空海を妬み、空海の通り道で待ち伏せして矢を放ったところ、黒衣の僧が身代わりとなって背中に矢を受け、空海は難を逃れたということです。実は、この僧は地蔵菩薩で、確かに地蔵の背中に矢傷があり、その後この身代わり地蔵は「矢負の地蔵」と呼ばれ祀られてきました。
その後いつの時代からか、「矢取地蔵」と呼ばれるようになったそうと言うことです。
現在のお堂は明治十八年(1885)に唐橋村(八条村)の住民の寄進により建てられたものです。 また、昭和初期の九条通の拡幅工事の際に、地蔵堂の周辺から多数の地蔵が発掘され、現在もお堂の右側に祀られています。
西寺跡の北東には鎌達稲荷神社 (けんたついなりじんじゃ)があります。
非常に小さな神社ですが、陰陽師・安倍晴明との関わりから訪れる方もあるようです。
また幸運・勝負運を招く、奇蹟を呼ぶ神社とも言われ、災難除けの呪文にちなんだ「サムハラ呪符」は災難除け、奇蹟を生むお守りとして人気があるようです。
さて、鎌達稲荷神社は、奈良時代、元明天皇の時代の和銅年間(708〜715 和同四年711年とも)に創建されたと伝わります。(一説には、飛鳥時代の仏教伝来時期の創建で、伏見稲荷大社より古く、元稲荷とも伝えられているという話しもあるそうです。)
平安時代以降は、千本八條上る梅小路東頭、天文家・陰陽師の安倍晴明の子孫、安倍土御門家邸内の東方に祀られます。(現在の地より東240m、北390mの梅小路頭町内)
祭神は、倉稲魂大神(うがのみたまのおおがみ)と猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)で、倉稲魂大神は、伊勢神宮の外宮の豊受大神と同一神で、五穀や衣食住、商工業繁栄の神で、全ての開運の神。猿田彦大神は、家内安全・交通安全など良きに導く神ということです。
尚、梅小路の元の境内には、杉の大木があり、天狗(猿田彦大神と考えられているそうです)が宿って、子供の成育を守ったという言い伝えがあるそうです。明治四十四年(1911)に梅小路駅拡張の為、現在の地へ移転しました。
記録によれば、 社殿は江戸初期から元和六年(1620)、嘉永三年(1850)、安政四年(1857)に改築や新社建立され、明治四十四年(1911)移転しました。現在の社殿は、平成八年(1996)に新社建立されたものです。
その他境内には、末社の白菊稲荷大神(伏見稲荷大社三の峰鎮座の同一神)、浄蔵貴所之塚(平安時代比叡山の山伏・呪術僧として知られる浄蔵を祀る)があります。
矢取地蔵と鎌達稲荷神社、たいへん小さな史跡ですが、どちらもエピソード的には災難除けになってくれて、幸運を呼びそうですね。
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