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上京区寺之内通千本東入ル新猪熊町にある浄光寺には、江戸時代中期の文人画家・池大雅の墓があることで知られています。
浄光寺は、慶長年間(1596〜1614)、愚公栄山上人の開基になる浄土宗のお寺で、池大雅の墓があることから、大雅寺の通称で呼ばれているようです。寺院らしい雰囲気はあまり感じられず、池大雅に関連していなかったら訪れる人はいない感じです。
京都市の案内板を参照すると、池大雅は、享保八年(1723)京都に生まれ、姓は池野氏、名は無名、大雅、玉海などと号しました。
若くより絵を志して、柳里恭(りゅうりきょう)や祇園南海に学び、中国の画論や画譜を通じて独学で南画を研究。また禅を修行し、日本全国を旅行します。こうして人物や風景を詩的に表現する独自の文人画を大成しました。30才の頃に、祇園の御茶屋の娘、町と結婚し洛東真葛ヶ原に草庵を建てて住みます。この妻の町も玉瀾(ぎょくらん)と号して画家・歌人としても有名です。二人は自由気侭な暮らしぶりで知られ、奇行・逸話等も多いようです。
池大雅は安永五年(1776)に54才で死去し遺言によりこの浄光寺に葬られました。(玉瀾は天明四年(1784)に57才で死去)
浄光寺の池大雅の墓には、「故東山画隠大雅池君墓」と二行刻まれ、側面に淡海竺常(たんかいじくじょう)の撰文になる銘文を刻まれています。また、京都市西京区松尾万石町(西芳寺=苔寺の近く)にある池大雅美術館には遺墨・遺品などが展示されています。
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