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上京区の北野周辺から、宥清寺です。
このブログでは、最近、「西陣」と呼ばれる地域のお寺が続いています。仏像や庭園が鑑賞できる観光寺院は比較的少ないですが、京都でも歴史ある地域なので、エピソードのある史跡が多いです。
一応、話題性のある史跡のみをピックアップしてきましたが、今回の宥清寺は、あまり面白いエピソードは有りません。それでも西陣では比較的大きなお寺なので採り上げてみました。
さて、一条通七本松西入ル滝が鼻町にある宥清寺は、この地区の寺院としては大きな敷地を持ち、地元では、「こども文化会館エンゼルハウス」の西隣にあるお寺として知られているようです。
宥清寺は、本門仏立宗の大本山で、本尊は十界大曼荼羅です。創建は、延慶元年(1308)、日蓮上人の直弟子日弁(日辯)上人が、上洛して公卿の青柳定家の末孫の元禅僧(本門寺二世日寿)を改宗させ、二条西洞院に定家の旧宅を寺として、「青柳山本門寺」としたことに始まると伝わり、これが京都における日蓮門下最初の寺院ということです。
その後、第七世日薗上人の時に、応仁の乱を避けて丹波亀山(現・京都府亀岡市)に移り、慶長四年(1599)の第十三世日要上人の時代に、京都新在家近衛通に移り、その後も小川挽木町等各地を転々と移りましたが、元禄七年(1694)、御前通一条下るにあった叡山横川の末寺、宥清寺を入手し「青柳山宥清寺」となり、鷲山寺妙蓮寺の末寺となりました。
江戸末には、廃寺同様の状態となりますが、明治二年(1869)、本門法華宗の一派、本門佛立講(本門佛立宗の前身)を開いた日扇上人(長松清風)が入山して、佛立講の根本道場としました。
その後、昭和六年(1931)に、佛立第七世日淳上人のときに現在の地に移転し、昭和十六年(1941)に独立本山に昇格し、昭和二十二年(1947)、法華宗から独立して本門佛立宗の大本山として現在に至ります。尚、本堂には本尊の十界大曼荼羅と重要文化財の木造日蓮上人像が安置されており、この像は弘安二年(1279)に日蓮自らが開眼したと伝えられているようです。
境内には梅が咲いていたので、少し撮ってみました。
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ここ西陣散策している時見たような見てないような。。観光寺じゃあないお寺もたくさんありますね。ビックリしました。
2007/3/8(木) 午前 0:26
一応、観光寺院や有名史跡クラスは、記事のタイトルをお寺や史跡の名前だけにしています。あまり有名でないお寺とかは、タイトルに少し解説を入れて区別していますが・・まあ適当です。
2007/3/8(木) 午前 1:10 [ hir**i1600 ]