|
「人形寺」として知られる西陣の宝鏡寺は、通常非公開ですが、春秋の人形展の際に一般公開されています。
現在、春の人形展「人形展100回記念 源氏物語とひいな(京の雛めぐり)」が行われ、源氏物語にちなんだ人形・寺宝など数十点が展示されています。
元々、尼門跡寺院の宝鏡寺は、入寺した代々の内親王が所持していた多くの人形を所蔵していますが、昭和三十二年(1957)年より人形展を始め、以降は毎年春と秋に一般公開することになったそうです。
その後、毎年10月に人形供養祭が営まれることとなり、昭和三十四年(1959)には、京人形商工業協同組合が、京人形を本格的にアピールする目的で、境内に人形塚を建立しました。(写真)
この人形塚は、吉川観方(よしかわかんぽう)作の御所人形の姿をしており、武者小路実篤による詩が刻まれています。こうして、今では「人形の寺」として有名になっていったということです。
(この夏にも少しだけ採り上げた宝鏡寺ですが、今回は沿革も含め書いてみます。)
上京区の寺之内通堀川東入百々(どど)町にある宝鏡寺は、山号を西山(せいざん)という臨済宗単立の尼門跡寺院です。
鎌倉時代の弘安年間(一二七八〜八七)、上京区西五辻東町を中心にこの地には、日本で最初に女性として禅僧となったと伝えられる無外如大禅尼(むげにょだいぜんに)が開山した景愛尼寺(けいあいにじ)がありました。
宝鏡寺は、この景愛寺の第六世、光厳天皇皇女の華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼が、応安年間(1368〜75)に、当時の後光厳天皇が御所に祀っていた聖観音菩薩像を、景愛寺の塔頭・福尼寺の本尊として賜って開山したのが始まりで、この時に天皇より宝鏡寺の号を授けられました。
この本尊の聖観世音菩薩は、伊勢の二見浦で漁網にかかったものと伝えられ、手に円鏡を持っていたために「宝鏡」の寺号が付けられたということです。
一方、本山の景愛寺は、足利氏の庇護をうけ、「京都尼寺五山(景愛寺・檀林寺・護念寺・恵林寺・通玄寺)」の第一位として、南北朝時代には大いに栄えましたが、応仁の乱以降に衰退消滅します。しかし、華林惠厳禅尼の入寺以後、宝鏡寺の住持が景愛寺の住持も兼ねていたために、宝鏡寺は景愛寺の伝統を受け継いで現在に至っています。
宝鏡寺は江戸時代の寛永二十一年(1644)、後水尾天皇の皇女、久厳理昌禅尼(くごんりしょうぜんに)が入寺して以来、皇室との関係が再び強まり、以後歴代皇女が住持を勤めることとなりました。
宝鏡寺の東南付近(寺ノ内小川)は、平安時代から、「百々の辻(どどのつじ)」と呼ばれていたため、宝鏡寺は「百々御所(どどごしょ)」と呼ばれるようになりました。(明和元年(1764)に「百々御所」の勅許を賜わります。) 天明八年(1788)の「天明の大火」で建物は類焼しますが、寛政十年(1798)に書院・本堂・大門・阿弥陀堂・玄関・使者の間の六棟が復興され、これらの建築物は京都市指定有形文化財に指定されています。
また江戸時代末には、公武合体のために14代将軍徳川家茂に降嫁したことで知られる和宮親子(かずのみやちかこ)内親王が幼少時に、この百々御所(宝鏡寺)ですごろくや貝合わせに興じたり、鶴亀の庭で遊んだということです。和宮は姉の桂宮淑子内親王の御殿の普請中は、ここで桂宮と生活もしていました。このような縁で、宝鏡寺には絵巻物などの和宮の遺品が残されています。
その後、明治の廃仏毀釈の際に、宝鏡寺住職が代々兼務していた大慈院(この前に華開院の時に出てきました。日野富子は大慈院開基の崇賢門院の親族になり、大慈院で出家していることを書きました。)を合併し、大慈院の本尊の阿弥陀如来立像、開基の崇賢門院(すうけんもんいん)の木像、尼僧姿の木造日野富子像を継承し、これらは現在阿弥陀堂に安置されています。
また宝鏡寺第十五世渓山(けいざん)禅師は、足利義政と富子の娘ということもあって、日野富子も和宮と共に宝鏡寺にまつわるヒロインの一人になっています。
さて、宝鏡寺の人形展では、毎年一番最初の人形のみ撮影可ですが、今年は紫式部の人形です。(写真)堂内他は一切写真撮影禁止のために画像を掲載できませんが、多くの見所があります。
聖観音菩薩像が祀られている方丈形式の本堂では、狩野探幽筆の襖絵「秋草の図」と、平成十六年(2004)に完成した河股幸和(かわまたゆきかず)作の「春・桜と子犬」「夏・葡萄と鹿」「日・伊勢撫子と鶺鴒」という可愛い襖絵の対比も面白いです。ここにも幾つかの江戸時代の有職雛が展示されていました。
阿弥陀堂は、光格天皇勅作と伝わる阿弥陀如来立像が御所より移される折りに移築された建物ということです。(天皇勅作の阿弥陀如来が安置されている為、勅作堂とも呼ばれています。)右には崇賢門院の像、左に日野富子像があります。
庭園も、苔の広がる方丈の南庭、花木の多い東庭、和宮が幼少の頃に遊んだ鶴亀の庭と変化に富み、落ち着いた趣があります。他にも、椿(熊谷椿、月光椿、村娘椿)や伊勢撫子(宝鏡寺撫子)等の様々な花が四季折々に咲くようですが、お寺が春秋のみの公開のため見られない花も多いようです。
書院には、襖絵は吉村孝敬、丸山応震の四季耕作図や、丸山応挙の雉の図・子犬の図等の杉戸絵があります。源氏物語のシーンを再現した伊東久重作の等身大の人形が展示され、御物の次郎左衛門雛、直衣雛、仮衣雛等を中心に、衣装人形(猩々)、御所人形(万勢伊さん、おたけさん、おとらさん等)、加茂人形(花嫁行列)計数十点の人形、かるたや貝合も飾られていました。
久々の宝鏡寺でしたが、やはり落ち着いた雰囲気が良いですね。
門跡寺院というのは女性らしい雰囲気があって花が似合いますが、春秋のみの公開のため、特に夏に咲く、伊勢撫子(宝鏡寺撫子)が見られないのが残念です。
|
春秋のみ公開ですか?!一回訪れてみたいような。
2007/3/8(木) 午前 0:27
春の公開は3月1日〜4月3日までのようです。(秋は11月1日〜31日)このお寺の人形展は有名なので、一度行かれても良いかもしれませんよ。人形の数はそれ程多くないですが、庭園とか襖絵もやさしい雰囲気で女性にはお勧めです
2007/3/8(木) 午前 1:03 [ hir**i1600 ]