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臨済宗南禅寺の塔頭、天授庵は広い庭園のあるお寺です。
南禅寺の山門のすぐ南にあるので、庭園から山門の上で眺望を楽しむ観光客が眺められますが、こちらの天授庵には紅葉時期を除くとほとんど観光客がいないという感じです。(本山南禅寺はもちろん、金地院や南禅院よりも少ないでしょう。確か通常期に一般公開したのも近年のため、認知度が低いということもあるかもしれません。)
さて、本山南禅寺の創建については、南禅院の時にも書いたので、天授庵との関わりを中心に書いてみます。天授庵は、南禅寺の開山第一世・大明国師(無関普門禅師)を祀る南禅寺の開山塔であり、山内で最も由緒ある塔頭の一つです。
鎌倉時代の文永元年(1264)、亀山天皇は、離宮禅林寺殿を建設し、その後、天皇は、正応二年(1289)、この離宮で出家して法皇となり禅寺の建設を始めます。この時に開山として奉じたのが、当時、東福寺の第三世だった大明国師(無関普門禅師)でした。
「文応皇帝外紀」によれば、たまたま正応年間(1288頃)、離宮内に妖怪が出現し法王を悩ませますが、大明国師は修行僧と共に離宮に留まって、読経することも無くただ坐禅するのみで妖怪を退散させ事を終息させたと言うことです。これにより法皇は国師の徳を讃えて深く帰依し、正応四年(1291)、離宮を禅寺とし、龍安山禅林禅寺(南禅寺の前身)を創建します。しかし、大明国師はこの時既に80歳の高齢で、この年12月に病気のため東福寺の龍吟庵で生涯を終えました。(前に龍吟庵の時にも書きました。)
大明国師は、亡くなる前に庵祖圓禅師(南院国師)を推挙し、南禅寺はこの第二世・南院国師の時代に寺院として完成します。そのため、初代の大明国師の開山としての功績はほとんど忘れられた状態となり、没後数十年間は開山塔の建設も行われない状態が続いたということです。
暦応二年(1339)、南禅寺第十五世となった虎関師練禅師は、この状態を嘆き、開山塔の建立を朝廷に願い出て、光厳天皇の勅許を得て建設に着手。暦応三年(1340)に南禅寺にようやく開山塔が完成。光厳天皇により庵は天授、塔は霊光と名付けられました・・これが天授庵の始まりです。しかし、その後文安四年(1447)、南禅寺の大火で類焼、さらに応仁の乱で荒廃し、以後130年余り再建されませんでした。
ようやく江戸時代の江戸時代初期の慶長年間(1596〜1615)に再建が始まります。当時の南禅寺住持の玄圃霊三和尚は、弟子の雲岳霊圭を天授庵主とし、知友であった細川幽斎に開山塔天授庵の復興を懇請しました。雲岳霊圭和尚は名僧としても知られ、細川家と関係深い若狭国熊川城主・山形刑部少輔の子で、細川幽斎の正室・光壽院の甥という関係にありました。こうして細川幽斎の援助を得て、天授院は慶長七(1602)に現在の本堂、正門、旧書院等を始め諸堂が再建されました。
本堂は、この時、再建された柿皮葺屋根の建物で、光厳天皇御銘の霊光塔を再建したものです。
中央に開山第一世・大明国師像を祀り、細川幽斎夫妻始め歴代細川家の位牌所になっています。この本堂と表門は近世初めの禅寺塔頭の典型的な建築として京都市指定有形文化財に指定されています。また、本堂の襖絵32面は長谷川等伯の晩年の作で重要文化財に指定されています(残念ながら非公開です。)
その他、大明国師頂相一幅、平田慈均禅師像二幅、細川幽斎像・同夫人像を所蔵しています。これらは全て重文指定で、細川幽斎夫妻像は秋の特別拝観の際に公開されているようです。
墓地には細川幽斎夫妻の墓、細川忠利遺髪塔、幕末に活躍した勤皇詩人梁川星巌・紅蘭夫妻や坂本龍馬等に大きな影響を与えた儒学者の横井小楠の墓もあります。
庭園は、本堂の前庭(東庭)と書院南庭に分れます。
本堂前の庭は枯山水庭園で、正門から幾何学的な石畳が本堂へと続くのが印象的です。この長い石畳は暦応四年(1341)の創建時期のものと考えられています。また石庭の東奥にある短い石畳は細川幽斎の墓所への道として慶長十五年(1610)の幽斎の死後に設けられたもののようです。明治時代に改作されていますが、石畳を中心として白砂と少な目の石組、サツキの刈り込みや苔のみの開放的な空間で、秋は紅葉が美しく彩ります。
南庭は、池泉回遊式の庭園で、暦応四年(1341)創建当初の作庭と考えられています。東西大小の二池で構成され、二つの池の間に書院側(北)から長く出島が池に突き出ていて、向かい側(南)からの小さな出島と共に池を2つに分け、庭の汀の線に変化を持たせているのが鎌倉〜室町初期の特徴と言うことです。ただし、慶長の再建時に東の築山周辺を改作し、また明治時代に西池に蓬莱島を設け石橋を作るという大きな改変がなされているために、一見明治時代の庭園の雰囲気があるのが残念と言われますが、地割は古式を留めているのでその点が見所ということになります。また秋の紅葉が池に映え、ライトアップもされているようです。
全体として、庭園は後世に改作されたため、金地院や南禅院のような名勝庭園には指定されていませんが寛げる空間になっています。南禅寺山内の隠れ家的なお寺として、金地院や南禅院の次に寄ってみたい塔頭です。
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紅葉の撮影に毎年行ってます。此処の紅葉は最高ですね。
2007/3/14(水) 午後 9:40
南禅寺は季節に関係なく観光客が多いですが、天授庵は秋以外は本当に空いていますね。若葉の季節も注目して欲しいお寺ですね。
2007/3/15(木) 午前 0:18 [ hir**i1600 ]
どれもこれも、京都らしい落ち着いた風景ですね♪静かで…いいな〜(^_^)♪ポチですねv(^^*)
2007/3/15(木) 午前 11:23 [ - ]
最近少し寒いこともあって、嵐山も観光客の数が数えられるくらい(少しオーバー^_^;)ガラガラでした。東山ではライトアップやってますが、まだ見てないです。とにかく桜しかないですね。
2007/3/15(木) 午後 11:50 [ hir**i1600 ]
細川幽斎の姉(宮川尼)は若狭武田7代信豊(小浜市後瀬山城主)の弟武田信高(小浜市新保龍泉寺霞城主)の妻、その子英甫永雄(建仁寺292世のち南禅寺住職)武田氏家老山形氏(天授庵建立)また幽斎は5代元信より弓馬故実(武田流)を伝授して細川家に伝わっている。武田家との当時深い繋がりが見受けられる。史跡も人の関係を探っていくと、興味深いミステリーが解かれる様だ。
2012/7/23(月) 午後 4:14 [ fuufukijin ]