京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

京都御苑周辺

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京都市北区鞍馬口通寺町下る高徳寺町にある西園寺は、宝樹山竹林院と称する浄土宗寺院ですが、その名前通り藤原北家の流れをくむ公家、西園寺家の名前の元となったお寺でもあります。



西園寺は、鎌倉時代の元仁元年(1224)に太政大臣・藤原(西園寺)公経(きんつね)が、京都の葛野郡北山の衣笠山の麓(現在の金閣寺付近)の山荘北山第に、山を背にして苑池を造り、池畔に本堂や寝殿等の豪華な堂宇を建て西園寺と称したのが始まりです。
また以降、公経の子孫らはこの北山第を領有し、この菩提寺の名前にちなんで西園寺を家名とします。

西園寺家は、鎌倉時代を通じて幕府に接近して朝廷と幕府の間を調整する関東申次を世襲して権勢を握りますが、大覚寺統と持明院統による皇位継承争いの際には持明院統に加担したため、大覚寺統の後醍醐天皇が鎌倉幕府を滅ぼすと西園寺家の権限は縮小されました。これに対し危機感を持った時の大納言・西園寺公宗は北条氏の残党と謀り、後醍醐天皇を北山の山荘に招いて暗殺しようと企て失敗、謀反の罪で処刑されました。こうして西園寺家は南北朝時代に一時衰え北朝に仕えます。




その後、足利三代将軍義満が北山の地を気に入って、西園寺家にこの地を所望して造営したのが北山殿(後の鹿苑寺=金閣寺)になります。一方、北山から室町頭(上京区)に移された西園寺は、天正十八年(1590)に秀吉の命により現在の地に移ります。
現在の本堂は天明の大火(1788)後の再建で、本堂正面には、明治から昭和に活躍した政治家(第12代、第14代総理大臣)西園寺公望の筆による寺号の額が掲げられています。(写真)
また堂内には恵心僧都源信作とも伝えられる本尊木造阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されています。




境内入口付近の地蔵堂には、旧地北山にあった功徳蔵院の遺仏と伝える地蔵菩薩蔵を祀っています。(写真)地蔵堂の内側の壁には恵心僧都(源信)の「往生要集」に由来する地獄・極楽の図が描かれています。
また境内には妙音弁才天堂があります。(写真)
弁財天は、日本では財宝の神様として七福神の一人に数えられていることで知られますが、妙音天とか美音天とも呼ばれ、元は学問や弁舌音楽などを司るインドの神様で、手にしている琵琶が弁財天の象徴になっています。
元々、西園寺家は、代々天皇や上皇に琵琶の秘曲を伝授していた琵琶の宗家の家柄で(前に、西園寺家と関係する上京区出町にある妙音弁才天と京都御苑内の白雲神社を採り上げた時に少し出て来ました)、開山の西園寺公経が北山第に西園寺を創建した際に妙音堂を建てて弁財天を祀って以降、琵琶の相伝も妙音堂で行われるようになったということです。以降、弁才天は江戸時代には御所の西園寺邸に祀られてきましたが、明治以降は民間にも広く信仰されるようになりました。西園寺では創建以来このように弁財天を祀っているそうです。

また、開山堂には西園寺を創建した藤原(西園寺)公経の木像が祀られています。
公経は、晩年に栂ノ尾(とがのお)高山寺の明恵上人を戒師として出家しました。また歌人として小倉百人一首の詠み人としても知られ、「新古今和歌集」には114首の歌が選ばれています。(写真)
また、墓地には西園寺家代々のほか,下鴨神社の祠官で歌人としても知られる梨木祐之・祐為らの墓があるようです。

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