京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

清水寺・三十三間堂・東福寺他

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東山区東大路松原上る下弁天町にある安井金毘羅宮は、崇徳天皇、大物主神(おおものぬしのかみ)、源頼政を祭神として祀る古社ですが、特に縁切り・縁結びのご利益で知られています・・特に縁切りの方が有名ですね!


安井金比羅宮の創建についてですが、神社縁起によれば、元々この地には天智天皇の時代(668〜71)に、藤原鎌足が家門隆昌と子孫長久を祈願してこの地に一堂を設け、藤の木を植え藤寺と称した寺院がありました。その後、聖武天皇の時代(724〜48)に詔勅により堂塔を改修増築、規模を拡大し「観勝寺」と改名しました。
平安時代末の崇徳天皇は、特に藤の花を愛し、上皇となった久安二年(1146)、堂塔の一部を館に修造して寵愛の阿波内侍(烏丸殿)を住まわせ御幸していましたが、上皇は保元元年(1156)の「保元の乱」で敗れ讃岐へ流され、長寛二年(1164)にその地で崩御しました。残された阿波内侍(烏丸殿)は、観勝寺の観音堂に上皇の御尊影を祀り、出家剃髪し帝の菩提を弔ったと言うことです。

治承元年(1177)、後白河法王の時代に、大円法師が観勝寺に参詣したところ、崇徳帝の霊が現われかつての盛況さを示されたので、これに恐懼した大円法師は、直ちに奏上して後白河法王の詔を蒙り、崇徳院を手厚く奉るための神殿を建造し、光明院観勝寺と称しました。この建治年間(1275〜77)に建立された、この観勝寺内の鎮守社が安井金比羅宮の起こりと言われています。


その後、鎌倉時代には亀山天皇が社殿を改修し、以仁王の御子・道尊宮を蓮華法院門跡、神社の別当として以降八世の間、法嗣を継承したということです。しかし、応仁の乱の兵火に遭い、経済的に疲弊した朝廷からの援助を失った光明院観勝寺も衰退しました。その後江戸時代になると、後水尾天皇の勅願によって、関白二条康通の猶子・性演僧正が入寺し寺社を再興します。
元禄八年(1695)には、太秦安井にあった門跡寺院の蓮華光院がこの地に移築された時に、当神社の別当の道恕が、その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐金刀比羅宮大権現より勧請した大物主神と、源頼政を相殿に祀ったことから、讃岐に行かなくても金毘羅宮に参拝できると評判になり多くの参拝者で賑わい、こうしていつしか安井金比羅宮と呼ばれるようになったということです。

その当時は領地300石を所有し社寺共に栄えていたようですが、明治四年(1871)の神仏分離令により、寺院は廃され嵯峨の大覚寺に合併することとなり、境内の一部を供出し縮小しました。これが現在の安井金比羅宮で、社域は1500余坪ということです。
明治六年(1873)に、村社に列し、安井神社と改称、また同十五年(1882)郷社に昇格、そして第2次世界大戦後、昔から親しまれてきた「安井金比羅宮」に復元し現在に至っています。


さて、安井金比羅宮は、縁結び・縁切りの神社として有名ですが、その由来は、主祭神の崇徳天皇が、讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って参籠したという言い伝えによります。
そして以降、浮気など男女間の縁、病気、酒、煙草、賭事など全ての悪縁を断ち切って、また良縁を結んでくれる祈願所として信仰されてきたと言うことです。

境内には、高さ1.5m、幅3メートルの「縁切り縁結びの碑(いし)」があります。碑の中央には、人が何とか通り抜けられる程の丸い穴が開けられていて、碑の中央にある亀裂を通して神様の力が下の円形の穴に注がれていると説明されます。
祈願者は、まず形代(かたしろ、身代わりのおふだ)に様々な願い事を書いて、碑の表から裏へ穴を通って悪縁を切り、裏から表へ通って良縁を結びます。後で神札を碑面に貼り付けると願いがかなうということで、碑の表面はたくさんの形代が張られて表面が見えない程の状態です。(写真)
人間というものは弱いもので様々な問題を抱えているのだという事を再認識してしまいますが、中には、お参りすれば良縁も切れるのでは・・と心配する方もあるそうで、良縁で結ばれたご夫婦やカップルの縁が切れることはありませんのでご安心をということです。


また、境内には、昭和五十一年(1976)に開館した日本初の絵馬ギャラリー「金比羅絵馬館」があります。(今回の写真は夕方の閉館後のものですが)絵馬は、元々神事や祈願の際に、馬を神霊に捧げる風習から生まれたと言われ、その後、経済的な事情等で段々と板絵へと変化していったと考えられています。この神社では古い絵馬堂の建築を生かしながら改築して多くの絵馬を展示して一般公開しています。

まず1階には江戸〜明治時代にかけて安井金比羅宮に奉納された絵馬が中心で、中には円山応挙に学んだ江戸時代の画家・山口素絢の作品もあります。また2階には、先代の宮司さんが、全国の画家や漫画家、芸能人に絵馬を送って絵を描いてもらった多くの絵馬が展示されています。また宮司さんが、ガラス工芸にも関心を持っていたことから「ガラスの部屋」という小さなギャラリーも設けられています。19世紀のアール・ヌーボー(エミール・ガレ、ナンシー・ドーム)やアール・デコ(ルネ・ラリック)等をはじめとする作品が展示されています。特に現代アメリカのデイル・チフーリの大作「海の神」が最大の見物になっています。

その他境内北側には、「久志塚(櫛塚)」があります。(写真)
これは古い櫛のために作られた塚で、毎年9月の第4月曜日に櫛まつりが行われています。櫛まつりは、古くなったり傷んでしまった櫛やかんざしを感謝を込めて供養するもので、この塚の前で供養祭が行われ、拝殿で舞踊「黒髪」が奉納されます。また春秋には例祭の金比羅大祭が行われます。


安井金比羅宮は、ホテル街に接しある意味で人間の様々な欲が集まっているような街中にある神社です。そして「縁切り縁結びの碑(いし)」や絵馬からも、人は昔から様々な欲と葛藤してきたと言う事が感じられます。何かのしがらみや繋がりと真剣に向き合う時、このような神社の加護が支えになったのでしょうね。

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