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上京区今出川通千本西入る南上善寺町にある上善寺は、前に登場した「湯たく山茶くれん寺」の隣にあるお寺です。もっと前に登場させるつもりが遅くなりました・・というのはこのお寺の唯一の話題といえば、「仮名手本忠臣蔵」に登場する早野勘平の妻お軽のモデルとなった女性の墓があることなのですが、以前に調べもせずに行って発見出来なかったので保留にしていました。
ようやく見つけましたので掲載します。
その前に、上善寺といえば、前に登場した鞍馬口地蔵で知られる上善寺が有名です。
実は今回の上善寺は、鞍馬口地蔵・上善寺が、鞍馬口に移転した後に、元の場所に改めて建てられお寺になります。だからお寺の来歴は鞍馬口地蔵で知られる上善寺と同じですが一応書いてみます。
平安時代の貞観五年(863)に慈覚大師円仁(調べると慈恵の創建とも書かれていますが、鞍馬口地蔵・上善寺の寺伝に従います。)により創建された古社で、当時は多くの塔頭があったそうですが、何度かの火災に遭って衰退し、それ以上の来歴は不明なようですが、室町時代の文明十五年(1483)盛信上人が再興し、中興の祖と呼ばれています。永禄九年(1566)に柏原天皇の勅願所となり、文禄三年(1594)に鞍馬口へ移転しました。その後浄土宗寺院として今日に至ります・・・こちらは前に書きました・・ようやく今回の上善寺ですが、この跡地に元上善寺として再建されたのが今回の上善寺です。こちらは天台真盛宗のお寺で、本尊阿弥陀如来を祀り、大師堂には祀られる大黒天像は慈恵及び最澄の作と伝えられるそうです。
さて、本堂裏の墓地には、「仮名手本忠臣蔵」に登場する早野勘平の妻お軽(梶・おかじ)の墓があります。「仮名手本忠臣蔵」は竹田出雲の作の人形浄瑠璃・歌舞伎の非常に有名な演目で、赤穂浪士の討ち入りをテーマに、江戸幕府の取締りを逃れるため、時代を室町時代に変えて描いています。太平記に出てくる、足利尊氏の執事・高師直(吉良上野介を想定)が出雲守護・塩冶判官高貞(浅野内匠頭を想定)の妻に恋心を抱いて、塩冶高貞を謀反の罪で討伐するストーリーから着想を得て、塩冶の家臣の大星由良之助(大石内蔵助を想定)が復讐を遂げるということになります。早野勘平とお軽は本筋から外れる福主人公格の登場人物ですが、2人の駆け落ちや勘平の死等の見せ場により最も印象的な登場人物になっています
このお軽のモデルは、討ち入り前に大石内蔵助が山科に潜伏していた頃の妾で、「於可留」、「梶(かじ)」等と呼ばれていた女性で、京都二条寺町の二文字屋次郎左衛門の娘と伝えられています。大石内蔵助は、討ち入りのため江戸へ向かう前に、彼女に金銀を与え実家に帰しますが、その後、お軽(梶・おかじ)は正徳三年(1713)に29歳で死去したと伝わります。
上善寺の墓石には3人の戒名が刻まれていますが、その内右側の「清誉貞林法尼」が彼女の戒名と言うことです。尚、墓石は、墓地の入口から3列ほど東のすぐ手前にあります。掲載した写真を参考に探すと簡単に見つかると思います。
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