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前回に続いて、井手町の代表的な神社の玉津岡神社と小野小町塚を採りあげました。
この前に採り上げた地蔵禅院のすぐ隣に有るのが、井手の氏神の玉津岡神社です。
祭神は、下照比売命(しものてるひめのみこと)、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、素戔嗚命(すさのおのみこと)、味すき高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)、菅原道真公の六柱神です。
神社の創建ですが、社伝によると、欽明天皇元年(540)祭神の下照比賣命が玉津岡に降臨し、椋本天神社と称した宮社を建てて祀ったのが始まりと伝えられます。
その後、橘諸兄が一族の氏神として天平三年(731)に下津磐根に遷座、その後、鎌倉時代の文応元年(1260)現在地に遷座したと伝わります。通称、玉岡の社と呼ばれてきましたが、その後、「玉岡春日社」、「八王子社」と称号を変えます。
明治十一年(1878)に井手村周辺にあった天兒屋命(西春日社)、味耜高彦根命(水無天神社)、少彦名命(田中天神社)、素戔鳴命(石垣八坂神社)を合祀し、翌年村社となります。その後、明治二十三年(1890)に菅原道真公(有王天満宮)を合祀しました。
尚、明治十四年(1881)に社号を「玉津岡神社」と改称し、翌年に郷社となっています。現在の社殿は江戸時代の建築で、本殿と末社の大神宮社が京都府登録文化財に指定されています。
山の中腹にある神社ですが、境内は比較的開放感があり、明るい印象です。地蔵禅院の桜見物のついでに寄られる方が多いようです。
また地蔵禅院や玉津岡神社の参道の石段を下る途中にあるのが、「小野小町塚」です。
小野小町は、平安時代前期の仁明天皇(在位833〜50)の時代に宮廷に仕えた女流歌人・六歌仙の一人として有名ですが、その生涯は謎の多い人物です。そのために後世に様々な伝説を生み、終焉の地も、この井手の他に、京都市、秋田県、山口県など全国に及ぶようです。
小町は、橘諸兄が創建した井堤寺(いでじ)で出家して寺で余生を過ごしたという言い伝えもあるようで、「冷泉家記」によると、「小町六十九才井手に於いて死す」とあり、また「百人一首抄」にも「小野小町のおはりける所は山城の井手の里なりとなん」と記されており、古来「大妹塚」と呼ばれてきた、この井手の「小町塚」は本物の小町の墓の可能性の高いものとされているそうです。
自然石を積み重ねて五輪塔にしたような無骨な墓で、絶世の美女と伝えられる小野小町に似つかわしくないですが、かえって不思議も魅力も感じられます。
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