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西陣辺りを歩いていると、目立つ家があります・・上京区御前通西裏上ノ下立売上る北町にある奥渓家(おくたにけ)住宅は、京都市内に残る数少ない貴重な古民家として主屋・長屋門が京都市の有形文化財に指定されています。
奥渓家は、豊後の戦国大名でキリシタンとしても知られる大友宗麟の嫡男義統の次男に始まると伝えられます。奥渓家の初代・奥渓以三は、江戸で医業を修め、元和六年(1620)の後水尾天皇の皇后・東福門院入内の際に、侍医として上洛し一条烏丸角に屋敷を構えたと伝えられます。
そして、東福門院死後に家禄を返上して別宅(下屋敷)だった現在の地に移りました。第四代から七代までは仁和寺門跡の御典医を務め、その後は製薬を本業として、現在も、十二世梅軸軒奥渓以三薬房 (ばいじくけんおくたにいさんやくぼう)と言う名前で大友胃腸薬「たくま」を販売されています。(残念ながら住宅内は非公開です。)
さて、奥渓家主屋は、増改築により複雑な平面構成になっているようですが、木造瓦葺二階建の建物で、基本的には東西棟の台所と書斎部分の南側に、玄関と座敷棟が突出した形になっています。
また本玄関、中玄関、玄関、台所大戸口と規模の割りに出入り口が多いのが特徴と言うことです。
かってはより間口の広い貫禄ある建物だったようですが、造営年代は寛文六年(1666)から正徳六年(1716)の間に建てられた台所部分を原型に、増改築が繰り返され、幕末頃にほぼ現在の形になったと考えられています。
また、長屋門は享保九年(1724)の火災による焼失後、享保十一年(1726)に再建されたもので、戦後に南三間が取り壊されるなど多小の変更がなされていますが、市街地に残る茅葺の門として希少価値のあるものになっています。
旧御典医の住宅遺構として貴重な奥渓家住宅は、江戸時代の京都の歴史を今に伝えている小さな史跡です。
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