京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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山科区御陵大岩六、山科疎水沿いにある本圀寺(本國寺)は、大光山と号する日蓮宗一致派の大本山です。境内は金色の建物が建ち並び、初めての方は少し驚くのでは無いでしょうか。





さて、本圀寺の創建は、建長五年(1253)に日蓮上人が、鎌倉松葉ヶ谷に小庵を設け、法華堂と称したことに始まります。弘長元年(1261)に日蓮上人が伊豆配流の際に破却され、弘長三年(1263)に再建、文永八年(1272)佐渡配流の際に再び破却された後再建、日蓮上人の身延入山後は、日蓮宗の布教道場として日朗上人、日印上人と継承され本勝寺と称します。

その後、南北朝時代の貞和元年(1345)、日静上人が、北朝の光厳天皇から京都六条に東西二町・南北六町にわたる広大な寺領を賜ったことにより、鎌倉から移り本国寺(大光山本国土妙寺)と改めました。日静上人の父は上杉頼重、母は足利氏の出身とも伝えられ、将軍足利尊氏の叔父に当る関係から、足利幕府と皇室の篤い庇護を受けたとも考えられています。
こうして代々勅願道場として多くの塔頭を数える大寺院として発展し、日像上人が建立した妙顕寺と並んで京都での日蓮宗布教に大きな役割を果たしました。

しかし、天文五年(1536)の天文法華の法難で、比叡山宗徒らの攻撃を受けて焼失、堺の末寺成就寺に逃れます。その後同十一年(1542)に勅令によって帰洛を許され、同十六年(1547)に京都六条に再建しました。本國寺はその後、松永久秀や加藤清正、豊臣秀次の母・瑞龍院日秀尼(また、日秀は文禄五年(1596)にこの本圀寺で得度しています)の庇護を受けて栄えます。今出川菊亭家の菩提寺ともなり、江戸時代には徳川光圀の熱心な帰依を受けたことから、光圀に因んで寺名を本圀寺と改称したと言われます。その後、天明八年(1788)、天明の大火で経蔵等一部を残して類焼しましたが、その後順次再建復興されたようです。
しかしその後、昭和の敗戦後、本寺末寺の解体や寺所の散失等により衰退し、経営難からついに昭和四十六年(1971)寺地を売却し、多くの塔頭を残したまま、本山を現在の京都山科区御陵に移転しました、その後伽藍を再建して今日に至ります。

また、寺宝として、本尊の宗祖・日蓮上人真筆の2つの曼荼羅(表装の布に鴛鴦(おしどり)の紋があることから、その鴛鴦御本尊と呼ばれる)、(日朗聖人の輪宝紋の袈裟を用いて表装されたことから、輪宝御本尊と呼ばれる)、2体の日蓮大聖人像、日蓮大聖人御真筆の「立正安国論」その他多くを所蔵しています。





さて、本圀寺の建物は山科移転後に再建されたため、非常に新しく、また原色が溢れています。
まず、朱色の正嫡橋を渡ると、朱塗りの山門が迎えてくれます。この門は通称「赤門」と呼ばれていて、元々文禄元年(1592)に、熱心な日蓮宗徒としても知られる加藤清正が寄進したもので、平成八年に修復して復元されました。加藤清正は、秀吉に従って武勲を重ねて肥後熊本の大名にまでになったことから、開運勝利の神「せいしょこさま」として広く尊崇され、その関係でこの門を潜れば開運を導くとして「開運門」とも呼ばれているそうです。 

境内に入ると、新しい金色に輝く建物がいっぱいです。(写真)
本堂前にある仁王門(中門 三解脱門)は平成15年(2003)の新築で、金色に輝く二体の阿吽像が左右を飾り、屋根には金の鯱が飾っています。また本堂前には一対の金色の灯篭が置かれています。

本堂(昭和48年建立)前には日蓮上人の像が建ち、その右には本師堂(立像釈迦堂 昭和四十六年建立)があり、日蓮上人が伊豆の伊東へ流された時から亡くなるまで片時も離さなかったという釈迦如来立像を祀っています。その前には、金色の鳥居の九頭龍銭洗弁才天があります。
古来山科の山に鎮座してきた神社で、文化五年(1808)に第三十三祖日茜和尚がこの地で教えを説いた際に、九頭龍銭洗弁財天を感得したという伝えから、平成七年(1995)に再建したものです。

また、本堂と本師堂の間から石段を上ると黄金色の鳥居がある清正廟(清正宮)が建っています。清正の女・揺林尼が建立したと言うことです。
鐘楼にも黄金色の梵鐘があります。大梵鐘は、文禄二年(1593)に関白秀次の母村雲瑞龍院の寄進によるもので、平成八年(1996)に再建されました。梵鐘は高さ240cm、直径150cmあり、約200名余の法号が列記され、有力な末寺の他中には秀吉の両親や木下家一族の法号も刻まれています。

梵鐘の台座内部には、鬼子母神十羅刹女さまと「くみょうさま」が祀られています。くみょうさまとは、法華経陀羅尼品の中の「九名皐諦女」のことで、天文法難(天文五年 1536)の際に、大火の中に姿を見せて危難を救った守護神で、炎と煙の中で体をねじって出現した姿をそのままの姿を祀っています。題目を唱える人を必ず救うと誓われた神様として、「がん」などの難病から救われるという不思議な霊験があり「女人守護・火中出現のくみょうさま」と崇敬を集めているそうです。

経蔵は、九世日暁上人の寛正五年(1464)将軍足利義政の寄進により、一切経と経蔵が建立されたもので、現存の建物は慶長十二年(1607)扇谷上杉家の太田資次が再建したものです。天明八年(1788)の大火をまぬがれた本圀寺唯一の建造物として重要文化財に指定されています。その他、大客殿(昭和四十六年 1971移設)、方丈・庫裏・事務所(昭和四十八〜五十一年 1973〜77移設)、新書院(平成十四年建造)等が点在しています。





本圀寺の金色原色の新しい建物からは、年月を経てきた文化財の持つ魅力は感じませんが、かっては京都市内に広大な寺域を持つ由緒ある大寺院だったことを思うと、少し不思議な感じがします。


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