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常照皇寺と同じ京北地区からです・・。
右京区京北地区(旧・北桑田郡京北町)では桂川と平行して国道477号線が走っていますが、この国道の左右には多くの小さな神社が点在し、神様に守られた道といった感じです・・山国神社、山国護国神社、稲荷神社、金毘羅神社、日吉神社、御霊神社、天満宮社等、熊野神社等が国道左右に建っています。今回は、この中で一番観光名所的に知られている山国神社を採りあげました。
毎年10月22日、「京都三大祭」の一つ「時代祭」の武者行列の先頭を進む維新勤皇隊の鼓笛隊として知られる山国隊は、この京北地区山国が発祥の地で、この神社は山国隊ゆかりの神社です。
右京区京北鳥居町宮ノ元(旧京北町鳥居宮ノ元)、国道477号線からの真っ直ぐな参道が印象的な山国神社(やまぐにじんじゃ)は、延喜式内社にも選ばれた平安時代以前からの古社と伝えられ、祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命 おおくにぬしのみこと)です。
光仁天皇の宝亀年間(770〜80)の創建と言われ、平安遷都(794)の際に大内裏造営のための木材をこの山国郷で調達しました。以降この地は御杣料地として定められ、本殿を造営、遷都造営工事の際に大工寮修理職(しゅうりしき)の指揮を採った和気清麿呂が、祭主として奉仕したと伝えられます。
その後、大嘗祭の際の悠紀・主基の両殿建設の際には、この地から材木を調達することが恒例となったそうです。三条天皇の長和五年(1016)に神位正一位と菊花の紋章を賜り、春日・加茂・御霊・日吉の四社を建立して五社明神としたと言うことです。
その後、源平の兵乱の際に破壊され、四条天皇の天福元年(1233)再建されました。鎌倉時代末の元弘の乱(1333)の際に再び破却され、室町時代の管領細川頼之がこの地に隠棲した際に社殿の復興を将軍に執奏、応永六年(1399)に復興されました。
この時足利義満が「丸に二引」の徽章を奉納し、以来この紋を神社の紋としています。その後、後陽成天皇の慶長元年(1596)に再建され、明治六年(1873)に郷社、同三十三年(1900)府社に列格されました。境内社として、春日神社、蛭子神社。飛地境内社として御霊神社(京都市右京区京北比賀江町坊ヶ瀬)、末社に八幡社があります。
さて、山国隊です。
幕末の慶応三年(1867)、王政復古の政変に際し、朝敵となった徳川幕府討伐のために勤皇隊組織の檄文が、皇室御料地として皇室との関係が深いこの山国庄にも廻りました。
地元の庄屋らが直ちに83名の農民部隊を結成します・・これが後の山国隊で、この山国神社で出陣の誓いを行いました。翌年、山国隊士は上京し、一部は御所や京都市中の警護に付き、35名の隊士は鳥取因幡藩士と共に関東や東北地方に転戦しました、(尚、明治二年、この戦いで戦病死した山国隊7名の霊が山国神社の東北にある山国護国神社に祀られ、以来毎年慰霊祭が行われています。)
さて、明治二十八年(1895)に、平安遷都1100年を記念して創建された平安神宮の記念すべき第1回の時代祭の際に、この山国隊の人々が参加して、大正七年頃までの25年間を祭りの先頭を行進しました・・・こうして今でも時代祭りの先頭を、維新勤皇山国隊が歩くことになっています。
そして、山国神社の毎年10月の例祭「還幸祭」でも維新勤王山国隊の行進が行われています。「山国隊軍楽保存会」の人等が鼓笛を奏楽しながら進み、御輿行列が練り歩きます。この様子は「京都の自然200選」のひとつに選ばれていて、普段は静かな山国神社周辺もこの時は多くの見物客が集まるようです。この祭事は未見ですが、山を背景にした長い行列が「絵」になるようで、一度見たいと思っています。
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山国隊の事を始めて知りました。歴史があるのですね。 神社も式内とのこと、建物もすばらしい!!行きたいところです。 京都駅からは結構遠い感じですね。
2007/4/26(木) 午前 4:09 [ sak*ra8**kik*777 ]
京都駅からJRバスで周山まで1時間20分程度、そこから地元ローカルバスで数分程度です。(桜の季節の後は、本数が少ないので要注意です。)神護寺や高山寺が遠く感じない方ならそれほど問題無い距離だと思います。
2007/4/26(木) 午後 6:23 [ hir**i1600 ]