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京都で蓮華寺というと、左京区上高野にある観光寺院の方を思い浮かべますが、今回掲載したのは、右京区御室大内、仁和寺の東隣にあるお寺の方です。
正しくは五智山(ごちさん)蓮華寺と言って真言宗・御室仁和寺派の別格本山になり、また近畿三十六不動第十五番霊場でもあります。有名な仁和寺の隣にあってもこのお寺に寄られる方はほとんどいません。しかし、見事な石仏群があり一見に値します。また、土用の丑の日に行われる「きゅうり封じ」でも知られているお寺です。
さて、蓮華寺の創建ですが・・大同元年(806)唐から帰国した弘法大師空海が、北嵯峨の現在の後宇多天皇陵(蓮華峯寺陵)地(右京区嵯峨広沢池の北方)に近い岩屋の中で不動明王を感得してその姿を石に刻んだと伝えられます。これが五智不動尊で、大師は不動尊に諸悪退散・諸病平癒の祈願を込めたと伝わり、これが「きゅうり封じ」の始まりです。
その後、天喜五年(1057)、藤原康基がこの不動像をはじめ阿弥陀如来、観音菩薩等の諸仏を安置して、周防国の鷲頭の庄を寺領として蓮華寺を創建したと伝えられます。やがて徳治年中(1306〜08)、後宇多天皇が中興し蓮華峰寺と改め理趣教の根本道場としましたが、応仁の乱で焼失。後に鳴滝音戸山に移りましたが衰退しました。
江戸時代初期の寛永十ニ年(1635)、江戸材木商の樋口平太夫家次が、五智不動尊の霊夢を見て発心して常信と号し、秩父三十四ヵ所、西国三十三ヵ所、坂東三十三ヵ所を裸足で木食行するなど六年間修行します。そして、寛永十八年(1641)、仁和寺宮覚深法親王(後水尾天皇兄)の庇護により、荒廃していた蓮華峰寺を再興、木食上人但称の造立した石造五智如来等の石仏群像を造立して、五智山蓮華寺と称しました。その後は、乗円や曇寂らの優れた学僧が輩出し、御室御所・仁和寺の下、別格本山として指南役を務めました。
そして、昭和三年(1928)中興第十八世僧正慈海和尚の時代に現在地に移転し、昭和三十三年(1958)、鳴滝音戸山山上に取り残されて損傷していた石仏群が、台石と共に原形のまま境内に移設整備されました。
蓮華寺の境内は、それ程広くないですが綺麗に整備されています。境内東の不動堂には本尊・五智不動尊を祀っています。(写真)境内中心には約2m50cmの大きな五智如来石仏が一列に並び、またその後ろには11体の観音菩薩、地蔵菩薩、僧侶等の石仏が並んでいます。五智如来石仏は砂岩で造られ、右より薬師如来・宝生如来・大日如来・阿弥陀如来・釈迦如来になります。石仏ファンはもちろん、写真ファンにも撮影対象として魅力的な石仏だと思います。
最後に弘法大師が、病苦を和らげ難病から逃れ、丈夫で長生き出来るようにと願を込めて五智不動尊を祀って生み出したと伝わる秘法「きゅうり封じ」です。土用の丑の日、お寺できゅうりに名前、年齢、願い事を書いて(きゅうり一本1000円)、本堂でご住職にお加持をしてもらい、そのきゅうりを持ち帰って3日間朝晩痛いヶ所をさすりながら真言を唱え、4日目の朝に人の踏まない正常な土に埋めるか川に流すという願いがかなうと言うことです。
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