京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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志明院(金光峰寺)

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京都市内の観光寺院として最北に位置するのは常照皇寺や峰定寺等だと思いますが、雲ヶ畑にある志明院(しみょういん)もかなり山奥のお寺です。4月から5月にかけては、石楠花(しゃくなげ)が美しいことで知られます。




北区雲ケ畑出谷町にある志明院は、通称岩屋不動、正式には岩屋山金光峰寺(きんこうほうじ)志明院(しみょういん)という真言宗の単立寺院です。鴨川の源流近い雲ヶ畑の山中にある修験道場で、岩屋山不動教本山と称し不動明王を祀ります。

寺伝によれば、志明院は、白雉元年(650)に修験道の開祖・役行者が創建し、その後天長六年(829)に、淳和天皇の勅願により弘法大師空海が再興したと伝えられます。
本尊の不動明王像は淳和天皇の勅願で弘法大師の直作、また根本中院に祀られる本尊眼力不像明王は、宇多天皇の勅願により菅原道真が一刀三礼して彫ったと伝えられます。以来、皇室の勅願所として祟敬深く、秘仏として天皇が即位する際に勅使を迎え開扉されて来たと言うことです。
その後、大永八年(1522)後奈良天皇が、世の中を鎮めんと諸堂開扉の詔を発し、その後勅願成就の御慶として、天皇晨筆の志明院の額と南無不動明王の六字を賜ったことから、志明院を寺号にしたと言う事です。天保二年(1831)、失火により山門を除く殆んどの堂宇が焼失しますが、本尊不動明王は災厄を免れました。その後多くの信者により次第に復興され、現在の主要な建物は明治以降の再建です。





志明院が歴代の皇室からたいへん重視された理由として、鴨川の水源地に位置し、貴重な「御所の御用水」でもある洞窟の湧き水を守ってきたことがあります。また雲ヶ畑周辺の村人達は古来「御所の御用水」を汚さないようにと水を清浄に保ち、自然を守り続けてきたのでした。そして、鴨川の洪水等の発生の度に、朝廷の使者が志明院を訪れて守護神の水神の前で祈祷が行われました。

他に、水の伝説として有名な歌舞伎十八番「鳴神」はこの志明院に関する演目になります。
志明院の僧・鳴神上人は、朝廷が願いを聞き入れない事を恨んで、その法力で竜神を滝壷に封じ込めて、黒雲坊、白雲坊を従えて護摩の洞窟に篭ります。このため世の中は旱魃となって民百姓は苦しみます。
これに対し、朝廷は雲の絶間姫(くものたえまのひめ)という洛中一の美女を遣わします。雲の絶間姫は色仕掛けで鳴神上人を破戒させ、上人が酔っ払って寝込んだ隙に、竜神を封じ込めた護摩洞窟の注連縄を切ります。こうして上人の法力は破れ竜神は天に昇って大雨が降りました。ようやく気付いた鳴神上人が怒って姫の後を追い掛けるというストーリーです。





さて、志明院では山門周辺と山門から覗ける範囲以外は写真撮影禁止で、カメラを受付に預けます。
前に書いた峰定寺も同様でしたが山岳修行の場として、普通の観光寺院とは一線を引いているのです。

山門(楼門)は、室町時代の再建で、左右の金剛力士像は右は運慶、左は運慶実子・甚慶の作と伝えられ現在本堂に安置されています。また、山門の岩屋山の額は小野道風の筆と言うことです。
石段を登る途中にある鐘楼・梵鐘は藤原国久の作で、石段上の本堂には弘法大師空海の開眼と伝わる本尊・不動明王をはじめ大日如来、毘沙門天、歓喜天等を祀っています。

本堂のすぐ西北にあるのが、「飛竜ノ滝」です。
弘法大師が建立して飛竜権現と称し、また鳴神上人の行場だった滝です。細い水が流れ落ちていて、この滝水に浴すれば心願成就すると言われるようです。
さらに奥に進むと、巨大な洞窟が幾つかあります。「護摩洞窟」は、役行者や弘法大師空海が修行した跡で、鳴神上人が護摩行のために篭った洞窟と言うことです。私に驚いて一匹のコウモリが洞窟から飛んで行きました。他にも御遺物経文を埋めたと伝えられている「納経の窟」等があり、これら山肌を切り開いた洞窟や巨岩は迫力があり一見に値します。

また、舞台造りになっている根本中院があります。元は木造だったようですが、今は鉄骨で舞台が造られています・・高さ数メートル程度の舞台の上には、宇多天皇の勅願により菅原道真が彫ったという眼力不動明王を祀り、また隣には洞中より皇室に献上した霊水が湧出したという「神降窟」があります。

この辺りまでが一般観光客コースで、所要時間15分程度でも廻れます。
しかし、志明院の境内は広大で海抜600m岩屋山他三山に渡って四国八十八ケ所の霊場が造られ、全山を廻れば約2時間の行者道があるようです。これらの道はとても整備されたとは言い難い木々が倒れた自然道なので、普通の観光客には無理と思われます。
山中には菅原道真の法跡「桜天満宮」、鎮守社で明神巌窟にある「宇賀稲荷社」、役ノ行者神変大菩薩を祀る「神変堂」、その他「陀枳尼・真天堂」、「脳薬師」、「金掛岩」、「蛇穴」、「六本松」、「飛岩」、「座禅石」、「弁財天」等の様々な修行場や小さなお堂が点在して、俗世を離れた深山の行場だと感じます。また山頂付近には天然記念物の石楠花の林があり、4月下旬から5月上旬が見頃で関西随一とも言われるようですが、登山の覚悟が必要です。





今回、石楠花の季節をねらって初めて訪れた志明院ですが、巨石や大木に囲まれて修行の寺そのものと言った印象です。同じような修験道の行場としては峰定寺がありますが、峰定寺の方が観光という点では洗練されているようです。しかし、志明院も石楠花の名所でもあり4月末はお勧めのお寺になります。夏場も涼を求めて山登り気分で訪れても良いかもしれません。

尚、最大の問題はアクセスです。京都市内から京都バスが1日4回程往復しますが、出町柳駅から朝8時半のバスに乗ると、帰りは夕方5時雲ヶ畑岩屋山発のバスまで有りません。山奥で6時間近く時間をつぶすのはかなり苦痛だと思いますので、(8時半の後は午後3時半発までバスは無いです・・これではもちろんお寺は閉まっています。)
路線バスを使うなら早朝6時過ぎ高野車庫発の臨時バスで来て、朝9時半雲ヶ畑発で戻るのが一番です(お寺は朝7時から開いています)・・京都市外の方は、市内から1時間以上程度の距離ですがタクシーをお勧めします。

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11年前教育テレビで放映された志明院の不思議な存在感にひかれその年に京都からレンタカーで行ったのですがこの先にホントにあるのかしら?と不安になりながら走った記憶がよみがえりました^^
到着早々不動明王門を通り抜けて、山中を途中まで散策していくつかの仏像を拝み、原水の滴りを手ですくい頂き^^境内でお抹茶と羊羹を頂き、ぼんやりと過ごした一日でした^^;
唯一つ未だに釈然としない記憶があって・・なぜか鳥居があった記憶なのですが、私の思い違いかしら?ぼんやりとした記憶なのが。。。
どうでしたか?
もし覚えていたら…なぜなのか?またはそんなものなかったのか・・・

2008/10/7(火) 午後 2:08 [ - ]

ご訪問ありがとうございます。
志明院は山岳寺院らしい不思議な雰囲気のあるお寺ですね。賀茂川の水源を守ってきた京の都にとって大事なお寺だったといいますが、中々神秘的な空間です。拝観料を採って一般公開されているお寺ですが、京都ファンの方でも、訪問されていない方も多いと思います。

そうそう、ご記憶のとおり、山門から石段を登る途中の右側に小さな社がありますね。このブログでも境内に社のあるお寺を幾つか採り上げてきましたが、廃仏毀釈のあった明治時代以前は、お寺と神社は一体化していた場合が多いので、この神仏混交時代の名残かもしれませんね。
元々、仏教伝来以降、仏教と神道は相乗効果的に混交して広まったのですが(例えば、全国にある日吉神社は、比叡山延暦寺の鎮守社として、天台宗の広まりと共に全国に勢力を伸ばしました。 )、明治になると、仏教とか道教などの外来系の仏様や神様と、日本古来の神様を分離したために、現在はお寺と神社は別のものとなったのですね。
特に志明院は、境内に自然信仰時代を思わせる大石とか大木とかもあって神仏混交時代を残している古い時代のお寺らしい印象です。

2008/10/7(火) 午後 7:33 [ hir**i1600 ]


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