京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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厭離庵

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右京区嵯峨ニ尊院門前善光寺山町にある厭離庵は、普段は非公開(予約による拝観許可を受ければ見られます。また秋も特別公開あり)ですが、京都古文化保存協会主催の「非公開文化財特別公開」で一般公開されました。(4月29〜5月8日)





厭離庵(えんりあん)は、山号を如意山と号する臨済宗天龍寺派の寺院です。(以前は尼寺でしたが現住職は男性)小さな細道の奥に山門があり、静かな雰囲気が漂っています。
元々この小倉山の麓の地には、平安時代末〜鎌倉初期の歌人として知られる中納言藤原定家の山荘「時雨亭」があったことで知られます。時雨亭山荘の正確な場所は不明ですが、常寂光寺や二尊院山内にも時雨亭跡があり、この厭離庵も、定家晩年の旧跡のひとつです。

この厭離庵周辺は、定家の子・為家の舅で歌人・武将としても知られる宇都宮頼綱(蓮生入道)の中院山荘があった地で、定家の時雨亭山荘と隣り合っていたようです。そして頼綱(蓮生入道)から依頼された定家が古今の名歌を選んで色紙に書き記したものが小倉百人一首のもとになったと言われます。定家はおそらくこの山荘を行き来していたのでしょう・・今も厭離庵の庭には80歳で亡くなった定家を火葬にした跡と言われる五輪の塔「定家塚」が残ります。





さて、その後この山荘は為家が継承しますが荒廃し、江戸時代中期の安永年間(1772〜81)に、為家の子孫になる冷泉家が再興、霊元法皇から「欣求浄土・厭離穢土」に由来する厭離庵の寺号を賜って、臨済宗天龍寺派寺院となりました。明治四十三年(1910)、貴族院議員で白木屋社長・大村彦太郎によって現在の本堂・書院・庫裡等が再建され、山岡鉄舟の娘・素心尼が住職となり尼寺となりました。

庭園には定家塚があり、石段上の本堂には本尊・如意輪観音像や開山の霊源法王像等を祀ります。また庫裡の横にある茶室・時雨亭は、大正十二年(1923)に再興された建物で、床や書院窓、文机などは桂離宮を模し、屋根裏は傘のようで、高台寺の傘亭を参考にしたと言う事です。その他、定家が筆を洗う水を汲んでいた「柳の井」と呼ばれる井戸があります。
厭離庵は小さな落ち着いたお寺です。建物等は明治の再建のため少し物足りない印象ですが、嵯峨野らしい優しげな雰囲気があります。

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