京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

金閣寺・大徳寺・鷹峯他

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神光院

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北区西賀茂神光院町にある神光院(じんこういん)は、山号を放光山という真言宗の単立寺院で、東寺、仁和寺と共に京都三弘法の一つに数えられます。
「西賀茂の弘法さん」として信仰の寺としては良く知られていますが、観光寺院では無いので普段は訪れる人も少ないお寺です。ただ、紅葉や冬の山茶花で知られる花の名所でもあります。


寺伝に拠れば、建保五年(1217)、上賀茂神社の神主、賀茂(松下)能久が加茂明神の霊夢により、霊光の照らした地に、一宇を建立せよとの神託を受けて、大和三輪より慶円上人を招いて創建したと伝えられます。寺名はこの由緒に因んで、神光院と名付けられたと言うことです。またそれ以前は、瓦屋寺と呼ばれて、御所に奉納する瓦製作の職人の宿所に使用されていたとも伝えられます。

以後、密教道場として栄えましたが、江戸の天保年間(1830〜43)に火災により堂宇を焼失しました。その後、明治十一年(1878)に和田月心が再興し、以後書院等が整備され、現在に至っています。正面に庫裏等、小さな池を隔てて西側に本堂、中興堂が点在しています。寺宝としては、仏限曼荼羅図(重要文化財)等があります。

本堂に安置する本尊・弘法大師像は、弘法大師空海がこの地で修行した際に、境内の池に自身の姿を映して刻んで無病息災を祈願したものと伝えられます。「厄除大師」の名前で知られて、現在も多くの信仰を集めています。
また毎年7月21日と土用の丑の日には、諸病封じの「きゅうり封じ」という疫病除けの祈祷会が行われています。これは、前に蓮華寺の時にも書きましたが、弘法大師空海がはじめたと伝わる病気退散の秘法で、氏名や年齢等を記入した紙できゅうりを包んで祈祷を受けて持ち帰り、身体の悪いところをなでて土に埋めるか、境内のきゅうり塚に埋めると病気が取り除かれると言うことです。



また山門を入った左にある茶室「蓮月庵」は、幕末の歌人・太田垣蓮月尼が晩年隠棲していた場所として知られ、境内には住居跡を示す「蓮月尼旧栖茶所」という石標と蓮月の歌碑が建っています。
太田垣蓮月(1791〜1875)は,名を誠といい才色兼備でしたが、夫と二度も死別、四人の子にも先立たれ、33歳で出家して蓮月尼と称しました。煩わしさを逃れ生涯三十数回住まいを替え「引越しの蓮月」と異名されましたが(勤皇の志士を匿ったためと言われます)、戊辰戦争の際に、三条大橋を通りかかった官軍の西郷隆盛に歌を渡したというエピソードでも知られます。「あだみかたかつもまくるも哀れなり 同じ御国の人と思へば」・・同じ日本人同士が戦うことの悲劇を詠ったこの歌が、江戸城の無血開城に影響を与えたとも伝えられています。

晩年はこの地神光院境内に住んで歌や書、茶道に親しみ、また陶芸の才も発揮し人気を博します。この頃は当時22歳の孫のような富岡鉄斎に作陶の仕事を手伝ってもらいながら共同生活を送り、飢饉救済の募金活動や、丸太町に橋を架けたりとボランティアにも勤めました。明治八年(1875)、85歳で亡くなりましたが、遺言で「ただ無用の者が消えゆくのみ、他を煩わすな、富岡だけに知らせてほしい」と頼んだということです。(墓は近くの西方寺の墓地にあります)

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