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左京区静市市原町にある更雀寺(きょうしゃくじ)は、通称「雀寺(すずめでら)」と呼ばれている小さなお寺です。本堂と地蔵堂が並び、その前に小さな「雀塚」があります。
更雀寺は、山号を森豊山という、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗・西山禅林寺派のお寺です。
平安初期の延暦十二年(793)、桓武天皇の勅願寺として賢憬上人が三条付近に創建し、その後、藤原氏の学問寺大学寮として勧学院と呼ばれました。創建時は大きな寺院だったようですが、その後度々戦乱に遭い焼失します。元応二年(1320)、後醍醐天皇が「更雀寺」の寺号を与え一時再建しますが、応仁の乱以降は再び衰退し、寛永三年(1626)に四条大宮に移転しました。現在の地には昭和五十二年(1977)に移転しました。
さて、このお寺が雀寺と呼ばれるのは以下の伝説によります。
平安時代、一条天皇の時代の長徳元年(995)、「中古三十六歌仙」の一人で歌人として有名な藤原実方が、書の三蹟の一人でもある藤原行成と宮中で口論しました。この時、実方は怒って杓で行成の冠を叩き落し投げ捨てるという無礼な振舞いをしたのでした。これに対し、行成は抗わず役人に冠を拾わせて事を収めました。しかし、この暴力行為が原因で藤原実方は奥州へ左遷されました。
実方は都に想いを馳せながら、奥州で失意の日々を送っていましたが、落馬が原因で長保元年(999)に死去しました。
それからしばらく後、勧学院(更雀寺)の住職・観智上人の夢に一羽の雀が現われ、「私は実方である。この身は奥州で死んだが、霊魂は雀に化身して都を慕って飛んできたので、自分のために読経して欲しい。」と語ったということです。翌朝、庭には雀の死骸があったので、塚を築いて弔ったと伝わります。これが現在まで残る「雀塚」です。(写真)こうして、実方が都を慕って雀に化身して舞い戻って、力尽きて死んだという話は都中の噂になり、いつしか「雀寺」と呼ばれるようになったということです。
更雀寺は、「雀伝説」のみで知られる小さなお寺ですが、その他、境内の地蔵堂に祀られる地蔵菩薩像は、毎年四月に壬生寺で催される「大念仏狂言」の演目「桶取」に出てくる地蔵菩薩で「桶取地蔵」と呼ばれています。
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