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京都には歴代の天皇陵が多く、昭和天皇まで124代中70陵(他に北朝系天皇陵もあります)が京都市内外にあります。(室町時代後半から江戸期の諸天皇は、深草北陵や月輪陵・後月輪陵等同じ場所に葬られているので、場所的には40ヶ所程度です。)
史跡を巡っていると、しばしばこれら天皇陵を見る機会がありますが、宮内庁に管理された天皇や皇室関係者の陵墓は、綺麗に整備されて一見どれも同じような印象を受けるので、これまで特に注目すべき場所のみ採り上げて来ました。
「天智天皇山科陵」と「後白河天皇法住寺陵」は、天皇本人が歴史的にも重要な人物で、資料的に信憑性がある埋葬地(天皇陵)という点で採り上げました。
また、「六条天皇閑寺陵」&「高倉天皇後閑寺陵」は歴史的な信憑性もありますが、それよりも非常に「絵」になる美しい天皇陵(特に紅葉時)ということでご紹介しました。
今回の醍醐天皇陵も、記録から実際に醍醐天皇が埋葬されたと考えられる確かな天皇陵の一つで、またこの地域のシンボル的な史跡になっています。
さて、山科区南部〜伏見区北部にかけては第60代醍醐天皇(885〜930)ゆかりの史跡の多い場所です。醍醐天皇の治世は、菅原道真と道真を失脚させた藤原時平に代表される時代で、後世、天皇が親政した時代として「延喜の治」と呼ばれ称えられました。今日では、古代から続いた律令制の最後の時代として位置付けられているようです。
醍醐天皇の史跡として、まず伏見区には、今回の醍醐天皇後山科陵(のちのやましなのみささぎ)と息子の朱雀天皇醍醐陵(だいごのみささぎ)があります。有名な醍醐寺も醍醐天皇の祈願寺でした。
また山科区には醍醐天皇の生母・藤原胤子陵、藤原胤子の実家の宮道家を祀る宮道神社があります。また有名な勧修寺も醍醐天皇の創建で、元は宮道家の別邸だったと伝わります。また胤子の父・藤原高藤の墓、胤子の兄弟・藤原定方の墓もあります。
今回は醍醐天皇後山科陵と藤原定方の墓を採り上げました。
伏見区醍醐古道町にある醍醐天皇後山科陵は、閑静な住宅地に囲まれた直径約45mの円形の天皇陵です。ぐるっと一周数分程度の散歩に良いような道に囲まれています。
中世の天皇陵の多くは、管理してきた寺院の廃絶や戦乱の中で所在不明となってしまいましたが、この醍醐天皇陵は、古来醍醐寺が管理してきたために荒らされずに守られてきた数少ない「本当に天皇が埋葬された可能性の高い天皇陵」として注目されます。
さて、もうひとつの墓は、知らない人は絶対気付かない藤原定方の墓です。
山科区勧修寺下ノ茶屋町付近、名神高速沿いの普通の民家の庭というか・・それも犬小屋の側にあるという何とも言えない環境に立っています。
藤原定方(873〜932)は、平安時代の醍醐天皇の時代の公家で、醍醐天皇の叔父(醍醐天皇生母・藤原胤子の兄弟)という関係にあり、三条に邸宅があったことから三条右大臣と呼ばれました。歌人として知られ、百人一首の「名にしおはば 逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな」の歌が知られています。この墓碑は江戸時代の享保八年(1723)に建立されたものです。
さらに少し山上には父の藤原高藤の墓、1キロ西には藤原胤子陵があるはずですが今回は時間的に訪れることは出来ませんでした。
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