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観光名所として知られる勧修寺周辺からです。今回は2つの神社を採り上げました。
勧修寺仁王堂町にある小さな神社が宮道神社(みやじじんじゃ)です。
宮道神社は、宇治郡(現在の京都府宇治市・京都市山科区周辺)を本拠とした宮道氏の氏神で、宮道氏の祖神、日本武尊(やまとたけるのみこと)と子の稚武王(わかたけるのおおきみ)を祭神として、平安時代の宇多天皇の時代、寛平十年(898)に創建されたと伝えられる神社です。別名として宮道大明神、二所大明神とも呼ばれてきました。
平安時代初期の宇治郡司・宮道弥益は、娘の列子を藤原北家の基礎を築いた藤原冬嗣の孫・高藤に嫁がせ、この高藤と列子の子が醍醐天皇の生母藤原胤子になります。醍醐天皇は後に、昌泰三年(900)、この母ゆかりの宮道家の屋敷を寺として改め、勧修寺を創建します。
前回に書いたように、この小野や醍醐周辺はこれら醍醐天皇ゆかりの人物の史跡が多く、この宮道神社もそういった史跡の一つということになります。
宮道神社はその後、宮道弥益・列子の他、藤原高藤、その子・定方と胤子等、醍醐天皇と勧修寺ゆかりの人々を合祀します。尚、藤原高藤の後裔は、勧修寺流藤原氏として朝廷で重要な地位を占め、また宮道氏は、武家・寺家蜷川氏として活躍したようです。
現在の本殿は明治二十三年(1890)に再建されたもので、平成十二年(2000)に本殿や拝殿の修復と境内の整備が行われています。
勧修寺御所ノ内町には八幡宮があります。この小野の地の産土神ですが、正式名称がただの八幡宮で、別名として吉利倶八幡宮(きりくはちまんぐう)とも呼ばれています。
情報の少ない神社ですが、予想していた以上にまずまず存在感があり(写真)境内には天満宮や若宮八幡宮等が建ち並びます。
八幡宮は、平安時代の仁寿三年(853)の創建と伝えられ、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祀ります。江戸時代まで勧修寺の鎮守社でした。
「吉利倶八幡宮」という名前は、かって境内の老杉が倒れたため、材木にしようと裁断したところ、切断面に梵字の中の「吉利倶」の3文字があったことに由来しています。
現本殿は元禄八年(1695)の建築で、この時の大工は勧修寺の宸殿等を造営していることから勧修寺が元禄時代に復興された際に合わせて再建されたと考えられています。
その後、享保十九年(1734)と安永八年(1779)に修理された記録があります。本殿は桁行三間、梁行二間、切妻造の桧皮葺の屋根で、江戸時代中期の大型の切妻造平入本殿の形式を伝えるものとして京都市の指定有形文化財に指定されています。
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