京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

清水寺・三十三間堂・東福寺他

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東山区大和大路通四条下ル小松町、建仁寺の南西に小さく佇んでいるのが、京都恵美須(ゑびす)神社です。(尚、「えびす」の漢字には、「戎」「恵比須」「恵比寿」「蛭子」等がありますが、この神社では、「恵美須」を正式名としています。)

この神社は、大阪難波の今宮戎神社、兵庫県西宮市の西宮神社(西宮えびす)と共に、「日本三大ゑびす神社」の一つで、一般的に「えべっさん」の名で親しまれています。
大阪や西宮に比べると、規模の小さい普通の神社ですが、毎年1月10日の「京都十日えびす」には、商売繁盛を願う多くの人が福笹を求めて参拝します。



さて、恵美須神社の祭神は、八代事代主大神(やえことしろぬしのおおかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。

創建は、社伝によれば、建久二年(1191)栄西禅師が宋より帰国の際、船が暴風雨に遭い遭難しようになったところ、海上に恵美須神が現われ、その加護によって無事に帰国できたということです。そして、建仁二年(1202)、栄西禅師が建仁寺を創建した際に、境内に恵美須神を祀って鎮守社としたことが始まりと伝えられます。
その後、応仁の乱で建仁寺と共に焼失しますが、江戸時代に建仁寺が再建された際に、同所に再建されました。そして、明治の廃仏毀釈により建仁寺から分離され今日に至るということですが、現在も商売繁盛の神、また地域の産土神として信仰されています。


ゑびす神といえば、商売繁盛の笹で知られますが、元はこの京都恵美須神社の独自の「御札」が広まったものということです。(笹は常に青々として真っ直ぐに伸びて折れないことから、縁起の良い植物として家運隆昌や商売繁盛の象徴となりました。)また、室町時代末期に日本で最初の七福神信仰が京都で始まりました。当時、応仁の乱以降の荒廃した京都で、幸福を願う民衆の気持ちが、福を呼ぶ神への民間信仰へ繋がったようです。そして、その後江戸時代に七福神まいりが江戸で流行し、今日の全国的な信仰へ広がったようです。
京都では幾つかの「七福神まいり」がありますが、最も知られているのは、日本最古の七福神まいりといわれる「都七福神まいり」です。

「都七福神まいり」

○恵美須神社・・・ゑびす神 

○松ヶ崎大黒天(妙円寺)・・・大黒天

○六波羅蜜寺・・・弁財天

○赤山禅院・・・福禄寿神

○萬福寺・・・布袋尊

○革堂・・・寿老人

○東寺・・・毘沙門天



それほど広くない境内には、本殿の他に小松天満宮、白太夫社、猿田彦社、八幡宮社、岩本稲荷社等が祀られています。この内、岩本稲荷社は平安時代の歌人として有名な在原業平を祀っています。また、古くなった名刺や財布の供養のために造られた名刺塚・財布塚もあります。

恵美須神社は、普段は参拝者も少ない普通の神社です。しかし、京都の中心部の四条河原町に近いこともあって、毎年の1月10日を挟んで前後5日間の「十日えびす」の時には、全国各地から多くの人が集まるようです。またこの神社は、午後4時頃以降には表門が閉められて境内に入れません。

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